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その夜、相原は沙和との関係を一歩進めるつもりでいた。
相原が沙和と過ごす時間に居心地の良さを感じるように、時に抱きしめたいと思うように、彼女も自分と同じ感情を抱いていると信じていた。
それは彼女から自分へと向けられる眼差しにほのかな恋情を感じたからであるし、自分が今まで好意を向けた女から必ず同じものを返されてきたという実績からの、自信だった。
(……それは過信だったということか)
夜の闇に隠れるように、ほの暗い場所で抱き合う二人を見て相原が感じたのは、怒りでも悲しみでも、ましてや恋慕でもない。
腹の底から込み上げてくるのは『憎悪』と呼ぶのが一番適した感情だった。
ベランダに出ていた時に、階下でぼんやりと光っていたスマホの光。ああ誰かいるなと、最初はそれしか思わなかった。
けれど、視線を部屋の中にうつして、沙和もあの男と同じようにスマホをのぞいているのを見た時、妙な胸騒ぎがしたのだ。
階下の男が何か入力しているのがわかる。室内の沙和も同じだ。
スマホを見るなんて誰だってすることで、外の男のように誰かを待っている時なんて殊更そうだろう。
関係ない。と客観的な自分が切り捨てる一方で、もしかしたらと危惧する自分がいる。
だから、相原は試したのだ。
たとえ自分が外出しても、沙和は部屋の中で待っているだろう。そう信じたかった。
そして結果はあの通り。
相原は沙和が外階段を駆け下りて、あの男のもとへ走る姿を見た瞬間に、自分が賭けに負けたことを悟った。
(なぜ、俺を選ばない……)
沙和の裏切りにまるで気づかなかった自分にももちろん腹が立つが、それ以上に自分と同じ想いを抱いていない沙和への憎しみが募る。
それは、いつのまにか自分の中で膨らんでいた沙和への想いの証明にすぎないが、その時の相原はまだわからずにいた。
二人の抱き合う姿に胸焼けを起こし、相原はきびすを返す。
指先の震えに気づかないふりをして、静かにアパートの部屋へと戻った。先ほどと変わらずテレビにはゲーム画面がうつしだされたままで、ローテーブルの上には皿とマグカップが並んでいる。
相原はそのマグカップに視線を止め、しばし考えた後にその二つを流しへと持って行った。いささか乱暴に置いた衝撃でマグカップはがつんと大きな音をたてたが、割れてはいない。
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