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一 『風摩三忍──』
──ねっとりと生暖かい風が肌に絡む、月が濁った夜だった。
東京丸の内。残業帰りのサラリーマンたちが、家路を急いで駅に向かう中、その列を避けながら、永田町方面からオフィス街へと小走りに駆け抜けて行く若い女がひとり…。
息は切れ、スーツも乱れているのだが、決して足を止めないそのOL風の女性は、まるで見えない糸で首をくくられて、それを何者かに引っ張られているみたいに、何かに急かされている様子だった。──円らで大きな目をした美女なのだが、なのに何処かその焦点が合っていないのだ。
すると、ついに人の列を避けきれなくなって、駅に向かう一人とすれ違いざまに、ドンと肩と肩をぶつけてしまった。
「すいません──」
チラと振り向いて言ったのは、女性と呼ぶにはまだ早い、幼顔をした少女。
事実、制服姿で、学校名の記された学校鞄を手にしているから、どうやら高校生らしい。
どうして夜も遅いビジネス街を、制服姿の女子高生が歩いているのかは分からないが、OL風の女性がこれを完全に無視して行ってしまったものだから、いや厳密に言うと、ぶつかった拍子に少女が落とした学生手帳にチラと目をやったものの、それを拾ってくれるでもなく行ってしまったものだから、
「無礼者!」
と何故か時代劇調の言葉を発しながら自分で学生手帳を拾い、女子高生は口を尖らせながら駅の方へと去って行った。
○
──いや、無視をしたと言うよりは、女性の表情は相変わらずボウとしてい、どうやらぶつかったこと事態、気付いていない様子だった。
そして、すっかり人気の無くなったオフィス街の小路を入った所で、やっとその足を止めると、彼女はハッと我に返って、そしてキョトンとした顔になった。
──どうして自分はこんな所に居るのだろうか。ここは一体何処なのだろうかと…。
その、目と鼻の先で起きた事である──。
はじめ、人の姿は見えなかったその小路に、だからマンホールの蓋とばかり思っていた丸く薄っぺらい路上の影が、ぬーっと徐に立ち上がり、黒い人の形になったのだ。しかもそれが、同時に三人…。
外灯の光が届かない暗闇で、まして現れた人間が黒装束に身を包んでいたから、三メートルと離れていないのに、美人OLの方はこれに気付くのが少々遅れた。が…、
「伊沢 那津紀だな?」
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