1

2/7
前へ
/7ページ
次へ
『殺し屋』という職業が成り立つ世の中になったのはいつからだろうか。 「よお兄ちゃん。悪いが死んでくれや」  降りしきる雨のなか。背後から忍び寄って来た男に首筋にナイフを添えられた状況で、少年は途方に暮れていた。歳は十代半ばから後半ころ。黒く短い髪に同色の瞳、落ち着いた風貌は真面目な学生のような印象を受ける。 「僕……? ですか?」 「そう、兄ちゃんだよ」  少年の左手には分厚い封筒。右手には傘。両手が塞がって、少年は抵抗もままならないように見える。同情を込めてか、男はぺらぺらと話しかけ、合わせてナイフが不愉快に揺れた。 「悪いなあ、『殺し屋』ってヤツでな。オレぁ兄ちゃんに何の恨みもないしむしろ今初めて会ったんだがよ。仕事なんで仕方ないんだよな。せめて楽に殺してやるから、じっとしててくれな」  そのまま、男は鋸を引くように少年の首を掻っ切ろうとして。  ぱん、と。  湿った雨の日に似つかわしくない、乾いた音がした。一瞬の間を置いて、少年のさしていた傘が落ちる。続いて、男のナイフが血に染まることなく地面に。耳障りな金属音の直後、崩れ落ちたのは少年ではなく男の方だった。 「まったく、冗談じゃないよ」  冷静にぼやく少年の右手、さきほどまで傘を握っていたはずの手には小型の銃が握られていた。薄くたつ煙を払い、少年は銃を上着の内側に戻す。 「ナイフを出さなかったら、見逃したんだけど」  自らが撃ち殺した男には目もくれず、少年は傘を拾い上げる。少年の血に塗れる予定だったろう男のナイフは、男自身から流れ出る血で染まっていく。雨の勢いに勝って大きくなっていく血溜まりを眺め、少年は溜め息を吐いてスマートフォンを取り出した。目当ての連絡先を選び、通話ボタンを押す。数秒で相手が出た。低く抑えたような女性の声が応対する。 「あ、もしもし。葬儀屋さんですか。お世話になってます。こちら、犬です」  奇妙な名乗りをあげ、少年は単刀直入に切り出した。 「お手数ですが、お仕事を依頼できますか。遺体の処理なんですが。喧嘩を吹っかけるのが流行ってるのか、最近ちょっと多くて……すいません」  相手は了解。少年は礼を述べ、場所を伝えて電話を切った。スマートフォンを仕舞い、脇に挟んでいた封筒を持ち直す。最後に男を一瞥し、何も言わずにその場を去った。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加