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「近所の奴に話しても全然信じてくれないんだ。確かに寝ぼけていたが、あれは夢じゃない。現実だよ」
将司は「そうか」と言って、たたうなずいた。急に善次が遠くに行ってしまったように思えた。善次の声は大きい。老いてからはさらに大きくなった。近くに座っていた客の視線も気になり出す。
「おまえは信じるか。将司」
善次にそう尋ねられ、将司は「そろそろ帰るか」と言って微笑んで見せた。自分は弱い人間だ。誰も彼もいつかは老いる。自分だって年老いてわかっているはずなのに、大切な人の老いさえまともに受け入れられずあたふたしてしまう。大切だからこそ、なのか。将司は心に風が吹いたように、虚しくなる。
何も言わずに席を立ち上がった善次も少し淋しそうな表情をしていた。将司はそれに気付きながらも、声をかけられなかった。
将司は妻に家の片付けを言いつけられ、倉庫と化した屋根裏の掃除をしていた。すると、古いカメラと三脚が出てくる。それを見つけるなり、いてもたってもいられなくなり家を飛び出した。
将司は善次の家の前に立っていた。ドアノブに手をかけると、鍵が開いている。「やっぱりな。不用心なとこ変わんねえな」と将司はクスリと笑う。
将司がそっと家に入ると、居間の奥の部屋で善次は眠っていた。将司は手に持ったカメラと三脚を窓際にセットする。わざと音を立てて。すると、善次はだるそうに目を開け、将司だとわかるとホッとしたように小さくため息をついた。
「なんだ将司だったのか」
「ああ」
「俺、嘘ついてなかっただろ」
「ああ」
善次は得意げな顔をして、再び目を閉じる。将司は善次を見つめながら、彼を心の中で強く、強く抱きしめた。
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