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事実、いまオレの足元に転がっているのも旅行者の成れの果てだ。長い髪から女性だと推測されるが、肉の塊にしか見えない姿だった。装飾品や所持品は何もなく、もちろん洋服もない。辛うじて「人間だった」と判断できる程度の状態だ。
表通りから1歩、本当に道を1本選び間違えただけで、治安の悪さは眉を顰めるほど悪くなった。
売春に恐喝、レイプなんて当たり前。だが、見かけより波乱万丈な人生を送ってきたオレから見ればたいしたことはない。
問答無用で殺されて身ぐるみ剥がれるのも珍しくないのだ。先ほどの死体然り、もっと酷くなれば生きたまま麻薬常習者に食い殺される事件まであった。
管理されたセトでは考えられない事件も、地球では日常茶飯事だ。
おまけにこの地域は、3年前に隕石の落下があり、他より治安の回復が遅れていた。
華奢な体躯と見目麗しい外見、高価なジュエリー付き……とくれば、この地区でルーイは最上級の獲物だろう。捕まえて売れば高値確実で、それ以前に性的に襲われる危険も高い。
この時代、男も女も大した差はなかった。
もっとも……それらに巻き込まれるほど、外見通りではないが……。
ふと感じた背後の気配に、緊張感が全身を満たす。護身用の38口径を確認し、気配の主の出方を窺った。
「ちょっと待て!」
案の定声を掛けられ、素早い動作で振り向く。それでもまだ銃は抜かなかった。冷たい視線を向けられた男は、肩を震わせて伸ばした手を止めた。
てっきりスラム名物の強盗かと思ったが、制服を着ている姿から察するに公安関係らしい。制式銃を構えて用心深く近付く姿は、オレに言わせれば隙だらけで滑稽だった。
……新米か?
修羅場慣れしている捜査官なら、相手の状況を一瞬で見抜く。最初から銃口を突き付けて威嚇する男は、自分の身を危険に晒している自覚はなさそうだった。
闇社会で名を馳せるスナイパーは肩を竦めて、両手を上げる。震えている手を見れば、うっかり逆上させたらトリガーを引かれかねない。
肩の高さに上げた両手に何も持っていないのを確認し、安心した捜査官が銃口を下ろした。本物だろうが……偽物は横行している世の中だ。
用心深く距離を置いた。
「……アンタ、何?」
「公安だ」
お決まりの黒革手帳を見せられ、中の認証番号を一瞬で暗記する。
おそらく本物だろう。つい先ほど殺人があったビルの近くを、肩に大きなバッグを背負った目立つ青年が歩いていれば、呼び止めるのが当然だ。声を掛けられたオレは本物の犯人なのだが……真犯人逮捕は100%なかった。
オレの後見には、アイツが控えてるからな。
セトにいる保護者を思い出し、ずり落ちかけたバッグを背負い直した。教えてやる義務もないので、どうやって誤魔化そうかと考えながら男の出方を待つ。
生臭い風が吹いて、無駄に長い金髪の先を揺らした。
「身分証の提示と、このような場所に居た説明を求める」
職務に忠実、基本に従う真面目な捜査官だ。定番のセリフに肩を竦め、身分証を内ポケットから引っ張り出した。
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