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犬が蜻蛉の潜伏場所を突き止めるまで、猫は暇である。もともと暇を苦としない性分だが、ずっとソファで寝転んでいるのも身体が鈍る。出かけるか、と猫はひょいと起き上がった。くいと腕を伸ばし、軽くほぐす。
「ちょっとうろうろしてくるよー」
「雨降ってるよ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
パソコンから視線を上げた犬は、傘すら持とうとしていない猫に呆れ声をひとつ。
「風邪なんかひかないでくれよ」
「りょーかい。じゃーな」
手の一振りで出て行った相棒を見送り、犬はやれやれとパソコン画面に目を戻した。
犬が出掛けていたときよりは弱くなった雨を全身に浴びながら、猫はぱしゃぱしゃと雫を跳ね上げて歩く。「蜻蛉の眼鏡は~」と鼻歌混じりの上機嫌だ。こうした雨の日の散歩は寒い季節を除き猫がよくやることであり、呆れながらも犬は今は止めない。最初は止めたが、あまりにも猫が言うことを聞かないので諦めたのだ。犬の温かな心遣いをよそに、猫は冷たい雫を楽しげに滴らせながら進む。雨のためか人通りは皆無だ。
「あーおいお空を……おっ」
歌詞と真逆の、鈍色の曇天の下。歩いていた猫は、道の端の人影に目を留める。真っ黒い傘に隠れ、背中と下半身しか見えない。だが、その人物の横に停めてある車で、猫は相手を特定した。
「葬儀屋! やっほー」
普通車より長い後部を持つ漆黒の車は、葬儀屋のものだ。猫に呼ばれ、傘をさした葬儀屋が振り向く。顎の辺りで切り揃えられた黒髪に、黒のスーツの上下。傘も車も髪も服も、美しいほどの黒で統一されている。この葬儀屋の女性とは、犬と猫は付き合いが長い。彼女のいつも閉じているようにしか見えない目が、猫を捉えた。
「猫でしたか」
低めだが、確かに女性の声だ。笑顔で歩み寄ってきた猫に、軽く頭を下げる。
「葬儀屋も雨の日の散歩?」
「仕事です」
「ふうん?」
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