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夕暮れ
江戸後期。天下に泰平の空気が広まり、数十年が経過したころ。日本は経済の発展に伴い、江戸・大阪を中心に華やかな文化を醸成させつつあった。
しかし、電気もない時代のこと。
夜がもたらす暗黒は、現代の比ではない。提灯を掲げていても、数メートル先すら満足に見ることが出来ないほどだ。
その闇を隠れ蓑に最近、残酷な辻斬り事件が連続して起きている。
北町奉行所の定町廻り同心、加瀬子竜はまだ二三歳と若手である。
端正な顔立ちに鋭い切れ長の眼。その眼を睨むように細め、薄い唇をきっと結んで見廻りに勤しむ姿には、どこかうっすらと影が感じられる。
彼が見廻りから奉行所へ戻ってきたのは、もう夕方も遅い時間で、秋の夕日がほとんど沈んでしまってからのことであった。
「精が出るな」
声をかけたのは、同じ定町廻りの先輩である皆川陸慶。中年特有の脂を額や鼻の頭に光らせ、後輩を笑顔で労う。
「皆川さんは、今夜の?」
「ああ、夜の番さ。一人で、な」
皆川の顔が、ふふん、と卑屈な笑みに変わる。
子竜が深刻そうな顔つきで、
「こんなときに、不用心な……」
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