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逃げ出した『幸せの青い鳥』がこの町のどこかにいるという噂が流れてから、ここブランシュの街の人々の頭は『幸せの青い鳥』でいっぱいになりました。
シュカの勤めるパン屋でも”働くなんて馬鹿らしい”と、職人が一人辞めています。『幸せの青い鳥』を探して幸福に暮らすと、店を出て行ってしまったのです。
『幸せの青い鳥』は”追われている”と言いました。しかし、彼が逃れたいのは町の人々からではないでしょう。シュカそう直感しました。
なぜなら、彼は人間ごときに捉えられるような存在ではありません。本来なら、その美しい翼で自由に羽ばたくことができるのです。
ならば彼の言う追手とは、彼の飼い主に違いありません。代々に渡って『幸せの青い鳥』を持っていると言われているリッパー家です。
リッパー家といえばブランシュきっての大富豪。『幸せの青い鳥』の力で栄えたされている一族です。それはもっぱらの噂でしたが、実際に何をもってして財を成したのか家業が不明で、町の一等地に大きなお屋敷を持ち、一家はほとんど敷地から出ることなく暮しているとか。
ところが最近、ご主人と奥方、その子供たちが次々と謎の死を遂げたといわれています。それは『幸せの青い鳥』が逃げてしまったせいで、今までその力を独占してきた付けが回ったのだではないかと、まことしやかに出回っている話です。
パン屋は毎日たくさんのお客がやって来るのもですから、情報に事欠くとはありません。まさか、渦中の『幸せの青い鳥』が自分の目の前にあらわれるなど、露ほども思ってもみませんでしたが、シュカも居ながらにしてだいたいの話は耳にしていました。
それによると、一家は全滅したわけでなく、末子の双子チルチルとミチルは災いを免れたようでした。
ならばきっと、いなくなった彼を探しているに違いありません。『幸せの青い鳥』を追っているのはチルチルとミチルなのです。
シュカは『幸せの青い鳥』どころか、幸福の話など、全て自分には無縁だと思っていました。両親に先立たれてからずっと独りぼっち。幼いころからその日を凌ぐ分だけ稼ぐのに精いっぱいです。子守り、皿洗い、薪拾いなど子供のできる仕事などそれほど多くありません。14歳で今の勤め先のパン屋で雇ってもらえるようになるまで、それはそれは惨めな暮らしをしていたのです。
そんなシュカにとっては幸福なんて物語の世界。空想するものだと思っていました。
しかし、この状況はどうでしょう。リッパーだけでなく誰もが手に入れたいと願っている『幸せの青い鳥』は、自らシュカのところへやってきた。自由に空を飛び、好きな場所を巡るはずの存在が、解き放たれた途端シュカのもとへ――。
それでもシュカは“選ばれた”などと厚かましい事は考えるべきじゃないと考えました。期待に膨らむ胸を抑えるのに必死でしたが、窓辺にとまる小鳥を思い出してみたのです。
小鳥たちはシュカの窓辺に遊びに来てくれたようでも、近づくと逃げて行ってしまいます。次は窓を開け放ち、次は小皿入れた水を置き、次は木の実、果実、何日もそうして、ようやく家の中へ入ってきてくれました。
それでも飛び去って行くのは一瞬です。あの小鳥はもう二度と、窓辺でみかけることもありませんでした。
もしも『幸せの青い鳥』の挿話が本当なら私にも――、そう、考えずにはいられません。それならば、どうすればよいのでしょう。
(……私ったら。今、彼を逃がさない方法を考えていた……?)
シュカはハッとしました。幸せが欲しいなら、なおさら下心など持ってはいけません。彼が困っているから手助けをしているのだと、再び強く思います。少しでも欲を見せれば、きっと『幸せの青い鳥』は他所へ飛んで行ってしまう気がしたのです。
シュカは一度深呼吸して、教会で習った神の言葉を唱えました。
(わたしは誰であろうとも、困っている人には手を差し伸べます)
そして『幸せの青い鳥』に温かい食事と自分の寝室を提供したのでした。
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