緑の魔法使い

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緑の魔法使い

「きゃっ! なによ? 誰? いつの間に?」  アビゲイルは素早く椅子から飛び退き、あっという間にチルチルの肩に隠れました。 「あら、魔法使いさん。こんばんは」  誰もが気付ぬうちに、魔法使いが突如として現れていました。獣人の優れた嗅覚にも触れず――。これが魔法というものなのです。一行は初めて魔法というものを目の当たりにしました。   「ごきげんよう諸君。僕にもワインを頂ける?」  ちゃっかりと、お茶菓子にまで勝手に手を出しています。この陽気な魔法使いは全身を深い緑のローブに身を包み、目深にかぶったフードから除く容姿は何とも美しいものでした。  「なんで? なんで?」と、騒ぐアビゲイルに「魔法使いだからだよ」と愛らしい笑顔を振りまきます。  アビゲイルに気を取られていましたが、エドワードも立ち上がり、椅子を倒していました。 「……あなたは……何者ですか」 「だから、魔法使いだよ」  チルチルがそう言った時点で、彼ら従者は受け入れるべき事実です。それでもエドワードは警戒していまた。ミチルの前に身を挺し、人間よりも発達した犬歯がむき出しになっています。   「……人……ではないのか?」 「人間だよ。正真正銘。なになに? 知ってる匂いでもするのかな?」  魔法使いはにやっと笑いました。  そしてエドワードに女性と見紛うような整った顔を寄せ、彼の頬に頬を付けます。挨拶のキスをしたのです。 「どう? よーく嗅いでみて。人間でしょ?」  エドワードは身をこわばらせています。ミチルはなだめるように、その肩に手を置きました。 「どうしたの、エドワード。彼がどうかした? 人間ではないの?」 「いえ。失礼致しました。申し訳ありません、ご主人様。――彼は人間です」 「――さて。僕はワインを頂きに来たわけじゃないし、しょうもない魔法使いでもない。僕は”緑の魔法使い”ミュウだ。チルチルにはもう会っているね。君らの『青い鳥』探しに協力している」  ミュウと名乗る魔法使いはエドワードとのことなど無かったかのように自己紹介をすると、チルチルが用意したワインを口にしました。 「なによ。結局飲むんじゃない。ワイン」  アビゲイルは不満そうです。驚かされたことを根に持っているのです。 「残念なお知らせを持ってきたんだ。またしても、君らのお屋敷のまわりからまずい事が起きた。それを伝えに来たんだ」 「家族が死んでしまうよりまずいことなんてあるのかしら」 「やめるんだ、チルチル。黙って聞こう」    内密にしていた『青い鳥』の逃亡も、家族の死も、何故か一夜にしてブランシュに行き渡ってしまった。今度はリッパー家の隣家の、死んだはずの娘が息を吹き返したという話が広がっているのです。これは彼らが一番、誰にも知られたくなかったことなのです――。  隣家の幼い娘、ミルは生まれた時から病気がちな子供でした。常に患っていたものですから、チルチルもミチルも一緒に遊んだことはありません。しかし、それほど多くはありませんが、時折可愛らしい歌声とその姿を見かけることはありました。体調の良い時を見計らって外の空気を吸っていたのでしょう。  当然、駆けずり回って遊ぶことはできません。その代わり、彼女はいつも歌を歌っていたのです。  歌声が途絶えてしまってから久しく、そしてついにある朝、彼女は息を引き取ってしまいました。  その日はちょうど『青い鳥』がリッパー家から逃げ出した日。報せを聞いたのは混乱の中でした。  町でもちきりになっている話こうでした。ミルが息を引き取るその刹那、ミルとその家族の前に、なんと『幸せの青い鳥』が現れたそうです。  誰もがまさか人の姿をしているとは思っても見ませんでしたが、透き通るような青い羽根を広げ、何やら唱えると、ミルの胸に火を灯したといいます。その姿はまるで天使のようだったと誰もが口を揃えます。そして、青ざめていたミルの頬には瞬く間に朱が差し、ぱっちりと目を開けたのです。 「奇跡よ! 『幸せの青い鳥』の奇跡よ!」  ミルの母親は歓喜の声をあげました。彼は、そこに居合わせたものにとっては本当に『幸せの青い鳥』でした。
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