零 『鴉天狗?』

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 なのにどうして女性と分かるかと言えば、黒装束のその胸に、丸く巨大な膨らみがふたつ並んでいるからだ。 「鴉天狗?」  突然、頭の上の方から声が聞こえて、女性は足を止めてそちらを見上げた。 「やはりそうか!」  声の主は、長い総白髪と、同じく真っ白い髭を長々と垂らした仙人みたいな老人。  事実、白衣に高下駄を履いた老人は、遊歩道の脇に並ぶ桜の木の一つに、その枝の上に猿みたいにしゃがんでいる。 「これは懐かしや!」 老人は、ただでさえ皺っぽい顔に満面の笑みを浮かべて、お面の女性に言った。 「久しぶりじゃの、鴉天狗!」  無論、彼女が被っているのが鴉天狗の面なのだが、久しぶりと言うのだから、顔を見ずとも知り合いと分かる間柄なのだろう。 「ご無沙汰しております──」 面を着けたまま頭をゆっくりと下げて、女鴉天狗は美しい声で言った。  それを無礼と感じる仲でもないらしく、老人は、うんと頷いて、また笑顔になっている。 「この辺りの桜は、どうやら病んでいるようですが…」 桜の木々に目をやりながら尋ねた女鴉天狗に、老人は胸元から何かを取り出し、そしてそれを自らの顔に被りながら答えた。 「天狗巣病じゃよ」  被ったのは、これまた天狗の面。ただしこちらは鴉ではなく、紅い顔で高い鼻のやつだ。 「──天狗巣病とは見ての通り、枝が異常に密集して生え、文字通り天狗の巣のようになってしまう、樹命に関わる桜の病気じゃ」 「まぁ…」  その、天狗の面を着けた老人を、悪戯な眼差しで女鴉天狗が見上げている光景は、かなり滑稽だ。 「それじゃまさか、これは全て…」 「おいおい、冗談はよさんか。言っておくが、この老天狗はそんな悪さはせんぞ──」  まるで孫とでも話しているように優しい声で、面の中の老人は笑った。 「そもそも、こんなに痛くて寝心地の悪い寝床を、誰が好むものか」  老天狗の軽口に、女鴉天狗も面の下でフッと笑ったように見えた。 「それで、用は何じゃ?」 「はい。大伯父様にお願いが──」 「やはりそうか。お前さんはそんな時にしか顔を見せてくれんからの」  嫌味ではなく、寂しそうな声で言った老天狗に、女鴉天狗は恐縮しながら返した。 「私も大伯父様とは一度ゆっくりとお話がしたいと思っているのですが、なかなかその時間が──」
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