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一 『石川五右衛門──』
──二〇〇九年十二月、都内某所。
寒風が吹き付ける高層ビルの屋上に、だから厚手のコートを着込んだ、いかにもエリート風の男がやって来たのは、時計の針が深夜零時を回った頃だった。
歳は四十代前半と言ったところか、不安げな表情で、少々挙動不審な印象だ。
「三十秒の遅刻だな──」
しゃがれた声は、エリート男のものではない。つまり、男に向けて他の誰かが言ったものだが、その姿が見当たらない。
「なんだか誰かに尾行されてる気がして…」
その誰かが気になるのか、それとも会話の相手の姿を探しているのか、エリート男はキョロキョロとしながら言った。
「十五分前には来られたんだが、念のため少し遠回りをしたんだ」
「心配するな。尾行者の有無は、こちらで見張っていた」
再び太くしゃがれた声が言うと、その声の主は、闇から湧いて出たように、いつの間にかエリート男の真後ろに立っていた。
「──で、例のモノは持って来たか?」
音もなく突然に現れた相手に、ヒィエッ!と驚いて飛び退いたエリート男は、そのまま尻餅をついて転がった。
「お、脅かさないでくれよ…」
これに詫びるどころか、大きな口で、からかうようにニターッと笑って見せたのは、エリート男とは対照的に筋骨隆々とした、実に野性味溢れる男で、その全身を黒い衣服で包んでいる。
「ほら、これがそうだ」
立ち上がって、コートのポケットから取り出したのはUSBメモリー。これを震える手で相手に渡しながら、エリート男は溜め息のように言った。
「こんな事は、今回だけだからな…」
獣のような男は、獣のような声で返す。
「あぁ、これが最後だ」
「それじゃ、早いとこ金を渡してもらおうか」
催促するように差し出した手は相変わらず震えていたが、その顔にはエリートらしからぬ、引きつった笑みが浮かんでいる。
だが、それ以上に醜い笑みを作っていたのは、獣男の方だった。
「金か。すまぬが持って来ていない」
「なんだと!約束が違うぞ」
「確かに約束とは違うが、今、お前に金をやっても無駄になる」
「ど、どう言う事だ?」
「つまり、こう言う事だ」
獣男の顔から笑みが消え、細く鋭い眼がギロッと月明かりに光った。
「な、なにをする?」
「言ったろ。これが最後だと」
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