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夜に溶け込む黒装束を身に纏った蛇丸は、無論、周囲への警戒にも細心の注意を払いながら、音もなく闇の中を疾走した。
__忍びの脚力は常人の比ではない。
山の中、まして獣道を駆け登る蛇丸は、にもかかわらず並の人間が平地を全力で駆けるよりも速かった。
まさに獣並み、天井裏を抜け出してから数刻も経たないうちに、ひと山超えようとしていた。
目の前に迫る峠を越えれば、もはや甲斐の外。
ここまで来れば、もう大丈夫だ。
__蛇丸は心中で任務の成功に歓喜した。
__ところが、である。
ついに蛇丸は、家康からの褒美にはありつけなかった。
それどころか、武田の領地から一歩も出ることさえ叶わずに落命したのだ。
しかも、その死に様が実に奇妙だった。
あと数歩進めば甲斐から出られる、という山中で、蛇丸は上半身のみで立っていた。
その腰から下を、丸々地中に呑み込まれた状態で。
ならば身動きがとれなかったのも仕方あるまい。そこには抵抗した痕跡すら見当たらなかった。
蛇丸ほどの忍びが、如何にして、これほどまでの劣勢に追い込まれたのかについては疑問が残る。
ともあれ、蛇丸と名乗る忍者が手も足も出せなかったと言うのだから、なんとも皮肉な話だ。
恐らくは、刀で真一文字…。
蛇丸の屍には、首から上がなかった。
分からないのは、その頭部が跡形もなく消えていること。
辺りを見渡しても、何処にも見当たらないのだ。
よって、ただその特徴的な体型から、それが蛇丸と分かるのみだった。
元亀四年。
__西暦1573年の晩秋の夜のことである。
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