伊賀くノ一 潮

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「是非にあらず。  どうせならば、何者かに信長の寝首を狩らせてやろう。  いや、もとい。  火を放たせるのだ。  信長は火の海に呑まれて、自害したことにする。  __だが、それには誰が適任か…」  数瞬ののち、信長の目が輝いた。 「光秀だ。  光秀が良い」 居ても立ってもいられなくなり、信長は大声で叫んだ。 「おい、誰か今すぐ光秀を呼べ。  光秀を本能寺に呼び寄せるのだ!」  __音もなく、京都は本能寺の天井裏を抜け出して、潮は主君家康の元へ急いだ。 確か今頃、家康殿は大阪の堺におられるはず。  潮は一目散に駆け出した。  __その時だった。 何もないはずの所で、潮は突然に足をもつれさせた。  そこは忍者の反射神経、並びに身体能力。転がる寸前になんとか体勢を立て直したが、けれど潮本人は納得がいかない。 まさか自分ほどの健脚が、意味もなく(つまず)くはずなど、あるわけがない。  これは、うぬぼれではなく、普通ならばありえないことが起こったのだ。  潮は足を止めて振り返った。 そうして、今、足がもつれた辺りに目を凝らすが、やはり足をもつれさせるようなものは見当たらない…。  おかしいな__。 口には出さなかったが、潮の目は、明らかにキツネにつままれた者のそれだった。  ええい、知ったことか__。 やはり言葉にはせず、潮は先を急ぐことを選んだ。  釈然とはしないが、今は一刻も早く自分が見て聞いた事を家康殿に報告するのが最優先だ。  潮は、再び駆け出した。 いや、駆け出そうとしたが、それが叶わなかった。 事実、全力でその両脚を回転させているのだが、一歩たりとも前へ進まないのだ。  潮は必死で両脚の回転速度を上げた。 しかし、結果は同じ。いや、むしろその身体はズルズルと後退している感覚だった。 「な…、なんだこれは…」 これは声に出して言った。 本人にその自覚はなかったが、それくらいに潮は取り乱していた。  なにしろ、潮が走れば走るほど、身体が後方に引きずり込まれるのだ。 もがいても、もがいても、地面の土が重く柔らかくなって、まるで足首に掴みかかって来るようだ。  潮は自分の足元を見て愕然とした。 そこに自分の足は見えなかった。 もはや(くるぶし)の上まで地中に埋まっている。
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