2人が本棚に入れています
本棚に追加
次にその子を見たのは、翌年、小学三年生の夏休みだった。祖父の家から、もう明日には帰ろうという最後の滞在日。今日こそは川に飛び込むぞと心に決めていた。仲良くなった地元の子供たちと毎日のように川で遊んでいて、彼らが次々と岩の上から川に飛び込む様子を憧れていた。しかし、いざ自分が岩の上に立ってみると、いつも足がすくんでしまっていた。でも今日はそれじゃだめだ、もう明日には家に帰らなきゃならないから。せいぜい大人の背丈くらいでたいした高さじゃないし、スイミングに通っているから泳ぐのは得意だ。大丈夫だと自分に言い聞かせた。余所者の僕のことを仲間に入れてくれたガキ大将のケンちゃんや村の子供たちに、いつまでも弱虫とは思われたくなかった。
その岩は、飛込み台というなんのひねりもない名前で呼ばれていた。川の真ん中にどっしりと突き出し、登るにも寝そべるにも丁度いい平らな岩。飛込み台の上で僕が固まるのを、みんなが見守っているのがわかった。蝉の声も川のせせらぎも耳に入らなくなる。一歩を踏み出すだけでいい。たった一歩だ。ついに勇気を出して、岩の上から水の中に飛び込んだ。
水面が近づく。一瞬目を閉じて、次に開いたときはすでに水底だ。足はつかない。独特の浮遊感が心地よい。やった。達成感があった。たくさんの泡が舞っている中、小さい魚が何匹か逃げていったのを目の端に捉える。あとは力を抜いて浮かぶだけ。みんな喜んでくれるだろうか。浮上する途中に目に入ったのは、子供だった。髪の長い子供が水底に張り付いて僕を見上げていた。白い顔、恨めしそうな羨ましそうな黒目がちな瞳。だれか先に飛び込んでいたのかなと不思議に思いながら
水上に顔を出すと、みんな喝采をあげている。何人かの子供達が飛び込んできて、揉みくちゃにされる。そうだった。僕はついに飛び込めたのだった。嬉しくて水底の顔のことは忘れてしまい、あとで潜ってみたけれど、その子はどこにも見つからなかった。
最初のコメントを投稿しよう!