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前例が無い訳じゃない。ある魔術師は蓄えた全ての知識と引き換えに、雛神様の中に人格を残すことを許されたという。
雛神様が旅立った後、身体に大穴を開けられた俺が生きていられたとして。その姿のまま雛神様の役に立てるかは怪しいものだが。
俺の目の前に、かつて酒を酌み交わし、何度も剣を交えた友が横たわっている。
薬が切れたのか、雛神様がイザークの腹を破り、無数の脚を動かし慌てて駆け出して行くのが見える。
まだ細い蜘蛛のような脚に、青白い屍肉のような身体。
この分ではご苦労されるだろうが仕方がない。雛神様と騎士との出会いは宿命で、彼女の騎士はここで斃れたのだから。
『ちょっと、生きてるんでしょ? ちゃんと動きなさいよ!』
イザークとの死闘で、右腕だけでなく左足にも深手を負った。傷を癒せたとしても、俺が最強を求めるのはもはや不可能だろう。
右腕の傷に、不意に内側から焼け火箸を突き刺されたような激痛が走る。絶叫しのた打ち回る俺の目の前で、ぐずりと突き出された雛神様の細い三本の脚が縒り合わさり、異形の腕を形作った。
『あんたの為じゃないんだからね! あんたはあたしの騎士なんだから。あたしが此界の神になるのを、ちゃんと見届けなさい!』
左足にねじ込まれてゆく雛神様の脚が、痛みと共に俺を無理にでも立ち上がらせようとする。
(『わらわの仔を孕みなさい! さもなくば死! ハリハリー! デス・オア・プレグナント!』)
かつての母神様との謁見を思い出した。
迷い込んだ者とは違い、最初から雛神様を賜るつもりだった俺に、問答無用で殴り掛かる暴虐の嵐。
丸三日間動けなくなるほど殴られ倒れ伏した後、胸元に捻じ込まれた小さな肉塊。
母神様から引き離される不安と恐怖で縮こまっていた雛神様が、今では母神様に挑もうとしている。
やれやれ。一度最強を夢見た以上、そう簡単には楽にはなれないか。
友人を弔い新しい右腕で剣を拾うと、俺は再び迷宮を歩き始めた。
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