月の花

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月の花

 金木犀の時期になった。  僕は金木犀と言う奴が好きだ。小ぶりで、甘い香りのする、あの可愛らしい花が好きだ。  しかしどうした訳か、あの香りは僕に、途方もない郷愁を抱かせる。胸の奥が、きゅっと締め付けられる。  その焦がれが何なのか、僕はいつも――忘れている。それを感じないのだ。ところがこの時期になると、頭ではなく、心が先に思い出すのだろう。  この時期は、眠れない。僕はベランダに出て、夜空を見上げて煙草を吸う。微かに漂う金木犀の甘い香りから、気を紛らわすように。  その日もそうやって、胸のもやもやから眼を逸らしていたら、何とその正体自身が眼に飛び込んできた。  それはふわふわと空からやって来た。無数の金木犀の花びらと共に舞い降りて、ベランダのフェンスに腰掛けた。  「久し振り、亜紀君」  その声を聞くだけで、僕は涙が出そうだった。煙草を掌で握り潰して、微笑み返す。  「ああ。久し振り、桂香」  彼女は、月の女神だと言う。金木犀――桂花の化身。月では万年、金木犀が咲いているそうだが、地球ではこの時期しか花開かない。だからこの時期しか会えない。     
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