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魔術師
手品ではない。超能力でもない。魔法。この世にはそう呼ばれる力が厳然としてある。
それは洋の東西を問わず太古の昔から存在していたが、東洋では所謂密教と呼ばれる仏教の中や、中国古来の道教、日本伝統の神道、インドのヨーガの中に様々な形で取り込まれ、宗教化し、儀式化してきた。
西洋においては古代シュメールやエジプトに起源を持ち、ヨーロッパにキリスト教が到着する前のドルイドや土着の宗教の中で育まれた。
それは神の奇跡を絶対とするキリスト教に否定され、中世から近世を通じて魔女狩りなどの弾圧にさらされてきたが、魔術を信奉する者たちの手によって巧妙にキリスト教の中に隠され、形を変えて生き延びてきた。
そして十九世紀になってエリファス・レヴィやマクレガー・メイザースといった現代の魔術師達の手によって世間に明るみに出され、二十世紀には狂人アレイスター・クロウリーによってその最盛期を見た。
私も多くの平凡な一般庶民と同じく、魔法などというものはおとぎ話やファンタジーの中に出てくる空想の産物に過ぎないと思っていたが、ふとしたきっかけで魔術の存在を知り、瞬く間にその豊かな世界の虜になってしまった。
日本ではあまり知られていないが、イギリスやアメリカには現代でも魔術の火を消さないよう実践しているグループがいくつかある。
私はそのグループのうちの一つにコンタクトを取り、英語で書かれた魔術書を取り寄せて日夜研究に没頭した。
丹念に原書を読み込み、そこに書かれている修行を実践していった。
フランキンセンスやセージ、ローズマリーといったハーブを手に入れ、乾燥させてすり潰してインセンスを作った。
蜜蝋にフラワーエッセンスを混ぜてお手製のキャンドルを作った。
様々な配合のキャリアオイルを作り、用途に合わせて使用した。
ヨーロッパからタロットカードを個人輸入し、瞑想を行ないその豊潤な世界に心を遊ばせた。
その結果日を追うごとに私の瞑想の腕は上がり、私は幻想の中の存在と心を通わせることが出来るようになった。
先ほど私の目の前に現れた小さなピエロのような存在は、そのような私が瞑想の中に創り出した幻影の一つだった。
私はある日の夜に瞑想中、自分の心の中を深く深く潜っていった。
途中から私は、もうこれ以上潜ると戻ってこれなくなることが分かった。
しかしそれでも私は潜っていった。それはあまりにも心地よく、うららかな春の日の陽だまりのようであった。
その気持ちの良さに私の理性は抵抗出来なくなり、私は光の渦の中に深く深く沈んでいった。
瞑想を始めると最初は闇しか見えないが、ある一定のポイントを越えると光の洪水が現われる。
長い旅路の果てに桃源郷をやっと見つけた旅人のように、私の心は歓喜した。私は一瞬、危険を感じたが、そのまま光の洪水の中に沈んでいった。
もう戻れなくなる。そんなことが頭に浮かんだが、心地良さに抵抗出来なかった。
目が覚めるまでに一体、どれくらいの時間が経ったのかよく分からなかった。
気付いたときには、私の体はいつもの瞑想用の深い腰掛けの中にあり、そして目の前にあいつがいた。
その小さなピエロは私の部屋の真ん中辺りで宙に浮かんでいた。
私は最初夢を見ているのではないかと思ったが、すぐにそれがエーテル的な実体であることに気付いた。
それは私が右を向けば右に移動し、左を向けば左に移動した。
首を動かさずに目だけを動かせば、そいつも目だけを動かした。
私が右手を上げれば左手を上げた。まるで鏡のようだった。
それによって私はそいつがエーテル的な実体であるという事実に思い当たった。
エーテルとは瞑想の中に現われる魔術的な質量を持った実体のことだ。
世界各地の神話にユニコーンやらペガサスやらの幻獣の伝説が伝わっているが、それらの幻獣たちは瞑想の世界の中にちゃんと存在している。
アーサー王伝説に出てくる聖剣エクスカリバーも、瞑想の世界の中にシンボルとして存在している。
そういった瞑想の中で出会う幻獣たちやシンボルを作る材料となっているのがエーテルである。
エーテルは向こうからこちらに働きかけてくるのと同時に、こちらから向こうに働きかけてその存在のあり方を変えることが出来る。
私はまだそこまで行かないが、瞑想の達人ともなればペガサスを手懐けることが出来、エクスカリバーを実際に抜くことが出来る。エーテルとは客体であると同時に主体であるのだ。
私は目の前に浮かんでいるピエロを何度か左右に動かしてみた。
今度は上下に揺らし、部屋いっぱいに拡大させ、手の平のサイズに縮小させた。
それからもう一度始めの大きさに戻し、何度か消したりまた現したりしてみた。
私は意のままにそいつを動かせることに満足し、最後にもう一度消して、部屋を出た。
私は自分が瞑想により達成したものに非常に満足していた。
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