恋人たち

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恋人たち

 次の日、私はいつものように勤務している女子高に通った。  高校一年生の生徒たちに関係代名詞の制限用法と非制限用法の違いを説明していると、窓の外に一人の女性が校舎の中に入ってくるのを認めた。  私はその人物を知っていて、おまけに恋をしていた。  それは所謂、一目惚れというやつだった。初めて彼女を見たときに衝撃が走った。世の中にこんなに美しい人がいたのかと思った。  彼女は今年から私が勤務する女子高で、非常勤の美術教師をしていた。  今年の春に私立の美術大学を卒業し、学校で教えるようになった。  彼女は週に二回私の職場にやってきて、女子高生たちにデッサンを教えていた。  それ以外の日は週に一度カルチャースクールで絵画教室を担当し、残りの時間は美術部の顧問をしながら油絵の具を使って自分の作品を製作していた。  年上のガールフレンドの娘が所属している美術部で、である。  私はすぐに彼女の虜になってしまった。  彼女は色白で、黒い髪が驚くほど長く、腰の下くらいまであった。  豊かな髪を左右に分け、額を出していたため、美しい眉と切れ長の目をはっきりと見ることが出来た。  顔はコンパクトにまとまっており、ほおの輪郭は緩やかな弧を描いて小さく尖った顎へと吸い込まれていった。  全体的にほっそりとした印象だが、腰のあたりの肉付きはしっかりしていた。  背が低く、エネルギーをぎゅっと凝縮したかのように見えた。  年上のガールフレンドと違って、彼女の身体は男性の視線を胸に集めるようには出来ていなかった。  私は彼女のことが気になって仕方がなかった。いつも彼女のことを考えてしまっていた。  それなのに、なかなか彼女と話す機会がなかった。  最初は、同じ学校に勤務しているのだから、そのうち自然に言葉を交わす機会もあるだろうと思っていたが、実際には彼女とはすれ違うばかりであった。  彼女は、私が一時間目の授業をしているときに学校に来て、放課後の美術部の顧問まで、ほとんどずっと職員室にも寄ることがない。  私は朝から夕方までいつもぎっしりと授業が詰まっていたし、英語教師が美術室に行く用事などは通常ない。  私は同じ学校に勤めていても、意外と教師と非常勤教師とは接点がないのだということを知った。  いっそのことカルチャースクールに通おうかとさえ思ったが、さすがにそれは怪しまれると思い、やめておいた。  それが、最近は状況が変わってきていた。  ここ最近の彼女は空き時間を職員室で過ごすことが多くなっていた。  私とも、会えば挨拶を交わすようになり、簡単な会話をするようになっていた。  それは、ここ数週間の間、私が少しずつ恋の魔法を実行してきたからであった。  そして、昨日の儀式がその仕上げとなるものであった。  この日の昼休みも、彼女は職員室で昼食をとっていた。  私が家から持ってきた魔法瓶からお茶を注ぐと、彼女は顔を上げてこちらを見た。  私もさりげなく、彼女の方に向けて顔を上げる。まるで彼女の視線に気付いて、何かあったのかな、という表情をわざと浮かべてみせる。  それはもちろん、彼女がこちらを見ることに合わせたものだ。  くすぐったそうな笑顔を浮かべて、彼女の方から口を開いた。 「あ、いえ、その、いい香りですね」  中に一本芯の通った、凛とした響きを持った声で彼女が尋ねた。  魔法瓶の中身は特別にブレンドしたハーブティーだった。魔法研究をしているうちに、ハーブにも詳しくなっていたのだ。 「ああ、ハーブティーなんです。匂いがきつかったですかね、すみません。イギリスに留学していたときに、ホストファミリーがよく作っていて」  私は女性に対して嘘はつかない。ただ、全ては語らない。嘘というのは女に属するもので、沈黙は男に属している。 「良かったら、一杯いかがですか。口の中がすっきりします」  私は教師用の紙コップを一つ取り出すと、彼女が飲めるように注いでやった。  平均より幾分か薄い唇で紙コップのフチを挟み、彼女は口の中をハーブティーで湿らせた。 「わあ、香りが広がりますね。これ、ペパーミントですね。それに、レモングラスかな。私、以前、自然食品を扱う店でバイトしてたんです」 「へえ、じゃあ、僕よりお詳しいかも。家に乾燥させたものがたくさんあるんですよ。僕は毎晩、カモミールを混ぜて飲んでいます」 「カモミールですか?私、探してたんです。バイトしていたお店もとっくに潰れちゃってて。ああいうお店って、あんまり流行らないんですよ」 「日本ではそうですね。イギリスだと、フリーマーケットなんかでもよく売っています。家の庭で採れたハーブだとか言って、ウディ・アレンみたいな眼鏡をかけたおじさんが」 「ステラおばさんみたいな奥さんと一緒に?」 「そう。どちらもアメリカ人ですけどね」
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