ある作家の場合

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 神津は顔を熱くした。年齢の定かではない女の顔を見つめたまま石像のように固くなる。  女の笑顔は少女のようにも、母親のようにも見えた。見る人によって感じる思いは様々だろう。  こんな美人に会うと分かっていたら、髭くらい剃ってきたのに……。 「外はお寒いでしょう。さ、中へお入りください」  女に招かれ店の中に入る。外観から受けた印象とは逆に、店内は綺麗でしゃれていた。神津が案内されたカウンターテーブルも、ダークブラウンで落ち着きがあり、まるで木目まで計算して作ったような上質な物に見えた。 「お客さん、今日は運がいいですよ?」 「はぁ……」  落選通知が届き、寒い中道に迷い、とても運がいいようには思えない。……まあ、この女性に会えたことは幸運と言えば幸運かもしれないが……。 「今はサービスタイム中なんです。お客さんのお悩みを聞かせていただければ、お茶を一杯サービスしているんです」 「……悩みを聞いてもらえて、さらにお茶までごちそうになれるんですか」 「えぇ、暇な女の道楽です。お悩みを聞かせてもらって、お客さんに合ったお茶を選ばせていただきます」 「へぇ、おもしろそうですね」 「では、早速、お悩みをお聞かせください」 「そうですね……実は、ここには道に迷って偶然たどり着いたんです。この辺に住んで随分経つんですが、情けない限りで……」  女はカウンターから身を乗り出し、神津の顔をのぞき込む。ミルクチョコレートのような優しい瞳から、神津は目が離せなくなる。 「……迷っているのは、本当に『道』だけですか?」  女の目は何もかも見通しているような気がした。だが、恥ずかしいはずの部分を見透かされているにも関わらず、不思議と嫌悪感はない。女の瞳には、どこか縋りたくなるような柔らかい輝きがあった。 「……参ったなぁ……。実は僕、作家を目指してまして……」 「へぇ、小説をお書きになられているんですか。すごいですね」 「いやいや、別にすごくは無いですよ。今日もまた、落選通知がとどいたばかりなんです」  女は黙ったまま神津の言葉に耳を傾けている。その顔に浮かぶのは、悩みを聞いている優越感でも、同情でもない。あえて言葉にするなら愛情だろうか。この世の全てを愛しているような、慈愛に満ちた優しい顔をしていた。
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