ある作家の場合

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「……逆に外に植えたカモミールは冬はあまり成長しませんでしたが、虫が付くこともなく春に大きく成長しました。虫も耐えられない寒い冬を耐えたんです」 「……」 「あなたは今、寒い寒い冬の中で凍えているかもしれない。でも、そんな中でつぼみを付けた神津さんの作品は、きっと誰かの胸に根を張り、心を育ててくれるはずです」  優しく紡がれる女の言葉が、乾ききった大地に水をやるように、神津の心を潤した。 「……そう、なれるといいんですが」  ふっと胸の中が軽くなり、神津は微笑んだ。 「大丈夫、あなたならそうなれることを私は知っていますから」  妙な言い回しだったが、神津はあまり気にせずカップに口を付けた。クセのない優しい味わいが口の中に広がった。  カップの中身を飲み干すと、神津は席を立った。妙にやる気が湧いてきている。今は一秒でも早くペンを持ちたかった。 「今日はありがとうございました。おかげで元気が出ましたよ」 「それはよかったです。あなたの作品が世に出ることを楽しみに待っています」  女に見送られ、神津は店を出る。ドアが後ろで閉まる音を聞いて、あることを思い出した。 「そういえば、自分、名乗ってましたっけ……」  振り返ると、そこにはシャッターの降りた八百屋があった。 「……え?」  神津は驚いて周りを見回す。喫茶スカボローフェアどころか、迷い込んだはずの知らない商店街すら無くなっており、見慣れた街並みが広がっている。……まるで狐に化かされたみたいだ。 「……幻覚でも見たか?」  神津は訳も分からなくなり頭をかきむしる。冷たい風に乗って、カモミールの甘い匂いが香ったような気がした。 「……まぁ、いいか」  神津は一息吐いて、空を見上げる。 「……相変わらず、寒いな」  だが、寒い夜は星の輝きがよく見える。神津は冬の夜空に向け手にひらを掲げる。その開いた手は、星を眺める一輪の花のように見えた。
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