井戸の中

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「おいっ!! つまみは!? いつまで待たせんだっ!!」  畳に寝転がり、酒を片手にテレビを見ている父が、台所にいる母に向けてそう怒鳴り散らす。  そんな父の言葉を受けていそいそと台所から姿を現した母は、父の側まで近寄ると口を開いた。 「ごめんなさい、待たせちゃって……」  手に持った皿を差し出すと、それをチラリと横目に見た父は思い切りその手を叩いた。 「きゃ……っ!」  手元から離れた皿は畳に転がり、驚いた母は小さく声を漏らした。 「こんな不味そうなもん、俺に食わせる気かっ!?」 「ごっ……ごめんなさい」  叩かれた手元を抑えながら、ビクビクと怯えて謝り続ける母親。そんな母に怒鳴り散らしている父は、鬼の様な形相で持っていたグラスを壁に叩きつけた。  ガシャーンッとグラスの割れる音が部屋中に響き渡り、驚いた俺はビクリと肩を揺らすと縮こまった。  外では複数の女性と関係を持ち、家では酒を呑んで酔っ払ってはこうして母を怒鳴りつける父親。  そんないつもの光景に、部屋の隅で(うずくま)っている俺はただ黙って時間が過ぎるのを待つしかなかった。 「しけた面しやがって。……あーっ、気分悪ぃ」  そう言って大きく舌打ちをした父は、床に転がった酒ビンを蹴飛ばすとその部屋を後にした。きっと女の人のところにでも行くのだろう。  パシンッと玄関扉が閉じる音を確認した俺は、パッと顔を上げると急いで母の元へと駆け寄った。 「っ……お母さん、大丈夫?」 「……うん、大丈夫。ごめんね、公平」  俺の頭を優しく撫でてくれる母は、そう言って悲しそうに小さく微笑むと、畳に膝を着いてそこに散らばった食事を拾い始める。  その手元を見てみると、先程叩かれた右手は真っ赤に腫れ上がっていた。 (あんな奴……っ、早く死んじゃえばいいんだ)  拳を握りしめて下唇を噛んだ俺は、足元にいる母を見下ろして一筋の涙を零した。それを気付かれない様にこっそりと拭うと、母のすぐ横に腰を下ろして片付けを手伝い始める。  そんな俺の姿を確認した母は、「ありがとう」と告げると今にも泣き出しそうな顔をして優しく微笑んだ。
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