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ちなみに、紫陽花が咲いているのは道の右側(河川側)のみである。道路を挟んで反対側は、並木道となっている。そのため梅雨の季節には、紫陽花と並木道が揃って訪問客を迎えてくれた。
今日の雨は、これまでに経験した事のない、少し不思議な物だった。強く降り注ぐようでいて、その降り方がとても静か。さぁぁ…という、雨音だけが空間を満たす。白い雨の色がくすんで僅かに霞がかり、まるで異空間に迷い込んだような錯覚を覚えた。
そして、その中で目の前に広がる、優しい色合いの紫陽花たち。自分が景色の中に溶け込んだような、息苦しささえ感じた。
…そんなとき、ふと足が止まった。
目の前に人影を見たのだ。
驚いたことに、傘を差していなかった。
栗色の髪と白いブラウスが静かに濡れている。まだあどけなさの残る雰囲気から察するに、年齢はまだ二十歳前、といった所だろうか。哀しげに、紫陽花を見つめていた。
『トクン…』
蒼太は、静かな胸の鼓動を感じた。
なぜ、彼女はそんな顔をしているのだろう。
傘も差さず…今にも泣き出しそうな。
(あの…)
声を掛けようとしたが…声が出ない。口を僅かに動かしたつもりだったが、肺から息を送り出すことができない。まるで、胸が押しつぶされるようだった。
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