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身体は、ぴくりとも動かない。金縛りに逢ったかのように…視線だけが、彼女から外すことができずにいた。傘を持つ手が、まるで痺れたかのようだ。時が止まるというのは、こういう事なのだろうか。
…どれくらいの時間が経ったのだろう。
ふと、彼女がこちらへ顔を向けた。
整った顔立ち、茶色がかって透明感を帯びた瞳。
涙の…跡。
蒼太は、全身が揺らぐような衝撃を感じた。
反射的に、
(このままだと、風邪をひく)
と、自分の傘を差し出そうとした。
視線は、彼女を見つめていた…筈だが、
彼女の姿は風景に溶け込むように透き通っていき、そして…消えた。折しも、雨はほんの少しだけ小降りになった。蒼太は呆然と、立ち竦むしかなかった。
◇
「…だから、何言ってんだおめぇは」
焼き鳥を飲み込んでから、剛史は半ば呆れ気味に言った。
桜庭剛史と蒼太の付き合いは、もう4年になる。入学してすぐ、一般教養の講座で隣同士の席になり、不思議と意気投合した。蒼太が内向的で人見知りなのに対し、剛史は兄貴肌で皆に慕われている。全く違う人種の2人が、なぜこんなにも普段から一緒に居るのか、周囲は不思議がった。
(ホント、分かんねぇ…)
ジョッキに並々と注がれたビールを、一気に飲み干す。女性が、傘も差さずに紫陽花を見てた? あまつさえ、それが目の前で消えた?
(ワケ分からん。こいつ、下戸のくせに酔っぱらってんのか?)
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