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「待て!」
夜の闇に、朗々たる声があがった。濃密な暗闇にも恐れることない勇敢なものである。
時は平安。
丑の刻を回った帝のおわす内裏でのことだ。
白砂を踏み鳴らし、駆ける影はしなやかで素早い。
その影こそ、侍従の君であった。
篝火が照らす横顔は幼さを残しながらも美しい。一度微笑めば場が華やぐだろう容貌を、しかし今は険しくしかめ、公達はひた走っていた。
宿直にて、宮中の広大な庭園を警固がてらそぞろ歩いていた侍従の君が偶々見付けたのは、夜闇に紛れる不審な影であった。
「何者だ!」
誰何したところ、たちまち逃げ出した影を追い、ひた走る。
足はこちらの方が早く、みるみる間に距離が縮まった。
逃げる影が頭から被った袿に手を伸ばす。裾を掴み、力のままに引き剥がした。
「…っ」
途端、流れ落ちたのは夜闇より濃い見事な黒髪だった。
袿を奪われたことに驚いてか、影が振り返る。至近距離で目が合う。
途端、侍従の君は落ちんばかりに目を見開いた。
「あ…敦宜…!?」
「範子さま…」
敦宜と呼ばれた人影は、震える声で呟いた。
――――侍従の君の名前を。
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