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「――――これで良かったか?」 帝が振り返り、背後の臣下へ問い掛けた。範子は深々と低頭した。 「はい。ありがとうございました」 「構わぬ。可愛い義兄弟の頼み故。…代わりに、其処な姫御前の妙なる笛の演奏をまた所望するとしようか」 「え」範子に倣って頭を下げていた敦宣がぱっと顔をあげて狼狽える。 冗談かと思いきや「楽しみにしている」と言ったきり、帝は天幕を去って行ってしまった。 茫然としていると、帝と入れ替わり現れた人影に、敦宣は今度こそ声も出ない程驚いた。 「父、様…」 右大臣は敦宣の側まで歩み寄った。 「子の演奏がわからぬ親などおるまいて」 そう言って、右大臣は相好を崩した。 「久方ぶりにそなたの笛を聴いた。なんと素晴らしい音だったか。だが、どうしてか、ずっとそなたの笛の音を聴いていたような気がするのだ。不思議よの」 は、と敦宣が息を呑む。 右大臣はあやかしものが視えない徒人だ。本来なら、敦宣があやかしに対した時に奏した音色は聴こえないはずなのだ。 「その髪は…あの時でか?」 右大臣が肩下で揺れる敦宣の髪を差して問うた。 あの時とは、きっと三の姫の対屋での事を差すのだろう。 右大臣邸、対屋での騒動は詳しい事情を説明しようがない手前、あらぬ嫌疑をかけられても仕方ない状況であったが、三の姫が目を覚ましたことによりその日はうやむやとなった。 しかし、若人二人では到底出来ないであろう損壊具合や、幾人かが異形の叫びを聴いたという証言により、恐ろしい物の怪が現れたのだろうと認識された。 目を覚ました三の姫は今は邸で療養中だ。 「はい…」 「そうか…綺麗な髪であったのにのう…。まこと残念じゃ」 敦宣が驚いたように瞳を瞬いた。 長かった彼の髪は、女の格好をしている最たる象徴でもあった。きっと右大臣はそれを快くは想っていないだろうと思っていた。 しかし今、右大臣は本当に惜しむように短くなった髪を見ている。 「だが、そなたに怪我がなくてよかった。敦宜、有難う」 俯いた息子の頭を右大臣が優しく撫でる。 その光景を範子と胡蝶は見守った。
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