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第4話 カタログ・データ
昭和18年8月。
陸軍航空審査部がある多摩陸軍飛行場(福生飛行場) にはキ84の試作機4・5・6号機が届いていた。
そしてこれらを使って様々な試験項目と限界性能のテストが日々行われていた。
本日は最高速テストである。
これまでも高度5000m付近で600km近い速度は何度か出していたが、まだ限界まで上げたことは無かった。
本日は高度5000mで最高速度を出すテストである。
操縦席には酸素マスクを首から下げた岩橋少佐が座っていた。
今は地上なのでマスクは装着していない。
岩橋「これより最高速テストのため離陸する」
こう無線で告げると岩橋少佐は離陸して行った。
自動車の場合、早く走りたければアクセルを踏めばよい。
しかし、当時の戦闘機の場合はアクセルに相当するスロットルだけではなく
・ガソリンと空気の混合比を変更する操作
・プロペラピッチ(プロペラのねじり)を変更する操作
・高度によるが過給機を動かす操作
などの操作が必要となる。
ドイツ空軍のフォッケウルフFW-190ではこのような複雑な操作を自動化する「コマンドゲレート」という機械式コンピュータのようなものが搭載されていたが、当時の日本機にそんな装備はもちろん無い。
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