第2話 ノモンハン

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第2話 ノモンハン

太平洋戦争が始まる約2年半前。 昭和14年(1939年)5月から9月まで満州国とモンゴル人民共和国の国境付近で大きな戦闘があった。 この地は 「ノモンハン」 と呼ばれた。 実際の戦闘は両国の後ろ盾であった日本軍とソビエト軍の間で行われた。 白兵戦を想定していた日本軍に対してソビエト軍は戦車・装甲車・自走砲など多くの重火器を投入してきたため陸上での戦闘は日本軍に不利に展開した。 一方、航空戦では日本陸軍航空隊に配備された97式戦闘機の大活躍により日本軍は一方的な勝利を収めていた。 ソビエト軍が当時保有していた戦闘機は 複葉機のポリカルポフ I-153 単葉機のポリカルポフ I-16 であったが、いずれも旧式で日本軍の97式戦闘機の性能と、練度の高い搭乗員達の敵ではなかった。 この空の戦いで日本軍側では撃墜数20機以上のエースパイロットが23名生まれた。 特に篠原弘道少尉は3か月の戦いで撃墜58機を記録し「東洋のリヒトフォーフェン」と呼ばれた。 この空戦に6月頃より日本陸軍 第11飛行戦隊も投入された。 この部隊の第4中隊の中隊長であったのが岩橋譲三大尉である。 彼は優秀なパイロットだっただけでなく、統率力がある名指揮官でもあった。 彼が率いる第4中隊は戦いが停戦となる9月までに撃墜100機を超える大きな戦果を挙げていた。 岩橋大尉自身も撃墜20機を挙げ、功四級金鵄勲章を授与されている。 空戦における被害の大きさにソビエト軍はスペイン内戦に義勇軍として参加し、ドイツ空軍との戦闘経験があるベテランパイロットを招集し日本飛行戦隊に対抗した。 これにより戦いの後半戦ではそれまでのような空戦での一方的な勝利は無くなったようだが、それでも日本軍の空での優勢は最後まで変わる事は無かった。 この戦いの後、岩橋大尉は昇進して少佐となり、ノモンハンで活躍した他のエースパイロット達と共に陸軍航空審査部でテストパイロットとしての任務が始まるのであった。
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