わたしが愛していたのは

1/1
前へ
/10ページ
次へ

わたしが愛していたのは

 やがて、週に一度が二度になり、昼休みを利用して大輔の職場の近くで逢うようになった。肉体の相性がよすぎたのかもしれない。やがて、わたしは彼の子を身ごもった。ジェンダー啓蒙活動のおかげで、非常勤講師がシングルマザーになることを大学はゆるしてくれた。  けれども、父親には言えないまま、わたしは出産したのだった。女の子だった。大輔はといえば、おそろしい共犯関係をともにしたことから、わたしの意志を最優先してくれた。それが出産に踏みきった最大の動機だ。 「お姉ちゃん、おめでとうと言っておくわ。でも、お父さんには言えないの?」 「言ったら、大変なことになるわ」 「……そうね」  妹は気づいている。自分が傷つくのを怖れて、わたしには何も問えないのだ。わたしも大輔も、何も言わない。 わたしの身体の異変に気づき、そしてこれまた何も言えないまま、わたしの出産を手伝ってくれた母親の悩ましい表情が、すこし可哀相だと思うようになった。思いがけなくも、愛すべき者を授かったわたしにとっては、もうどうでもいいことだ。 それにしても、もうひとり子供が欲しくなったら。娘の兄弟が欲しくなったら、わたしはどうするのだろうか。もう、とっくに気づいているのだ。わたしはわたしとその子供を愛しているのであって、一度も男を愛した記憶がない。(了)
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

91人が本棚に入れています
本棚に追加