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実力派の教授
教授は無類のオンナ好きで、学部長候補に名前が挙がっている野心家。
「先生、今晩は部屋はとってあるの?」
それがいつも、ディナーを食べながらの最初のことばだった。
「もちろんだ、綾子と会う日は。鎌倉に帰るのは二日に一度、学部長になったら三日に一度になるだろうな」
「ワンルームを借りちゃえばいいのよ、いっそのこと」
「そこにお前を住まわせるか。でもダメだ、親には何て言う?」
「ふふ。東京にパパが出来ちゃったと言うわ。先生の奥さんから電話がかかってきたら、あたしですか? 娘ですと答えてあげる」
「バカな」
わたしのことを「いい女にしてやる」が口ぐせの教授は、不倫がバレることばかり気にしていた。その理由は、わたしと同じ年ごろの娘もいる家族にバレる不安からではない。
学長付きのスタッフとして、多額の予算をにぎっている教授のスキャンダル。ありていにいえば、大学の経費横領が思わぬことから露顕する。それが怖いのだと、わたしは教授の秘密を推察していた。なぜならば、ほかならぬわたし自身が、教授の横領に恩恵をうけていたからだ。
「食事が終わったら、エルメスに行くか? バッグを欲しがってたな」
「いいえ、今夜はブルガリがいいわ。学部の経費で落として」
そんな生活をしていたから、大輔とは疎遠になってしまった。教授との関係に気づいた年上のカレは、もうとっくにわたしとは顔を合わせなくなっている。銀座で遊ぶようになってからは、新宿のカレとも会っていない。
それでも、実直な大輔とは別れなかった。
「どうしてるんだい、最近」
「いろいろとね。そうだわ大輔、原稿料が入ったから、ご馳走してあげる」
教授の紹介で、わたしは地方紙に原稿を書くようになっていた。これからは教授の指導で、歴史研究者としての道をあゆむ。二十一歳のわたしが得た選択である。
「あなたは、進路どうするの?」
「もう出版社に内定したよ、小さな専門書ばかりの版元だけど」
「よかったわね。文学部の学生なら、誰もがうらやむ就職先だわ」
そんな会話が、あなたとは最後だっただろうか。
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