425人が本棚に入れています
本棚に追加
菊池は「やれやれ」といった風にため息をつく。
「とにかく、僕はもう飲まないからね。マサオも健太に付き合っちゃだめだよ。お風呂当番忘れた張本人なんだから」
菊池はマサオの肩をポンと叩くと、風呂場へと行ってしまった。
冷静な共同住人に促され、マサオはなんとも言えない顔をする。
「健太さん、すいません。俺のせいで……」
「お前は気にすんな。明日大学と養成所だろ。早く寝な」
缶に口つけながら、右手でしっしっと払う。缶に反響して、声がこもる。
マサオは申し訳なさそうに「今度必ず埋め合わせさせてくださいっす」と頭を下げると、自分の部屋に逃げた。
「むかつく……」
一人リビングに残される。缶の口を噛むと、カチッと歯のあたる音がした。
今日は飲んでいろいろ語りたい気分だったのに、すべてぶち壊しだ。何もかも長沢のせい。最悪だった。あの男は人を不愉快にさせる天才だ。
菊池は菊池で、いつも自分を悪者にする。そういうところは、優しくないというか意地悪だと思う。
そもそも、自分だって初めから長沢とこんなふうになりたかったわけじゃない。気づいたら『こう』なっていたのだ。
健太が今の家に越してきたのは、十年前――十九歳の時だった。東京郊外にある一階建ての木造住宅で、健太が住み始めて十年目の今年、築四十年になるという。
一応『野田ハイム』という建物名がついているが、その名でこの建物を呼ぶ人間は一人としていない。入居前に不動産屋からシェアハウスだと聞いていたけれど、そんな洒落た言葉はふさわしくないほど、そこはジメッとした雰囲気と場末感のある建物だった。
内見せずに決めたとはいえ、その横文字とは程遠い面がまえの建物の前に連れていってもらった時、健太は思わず「え、詐欺?」と口走った。「まあ、日本語にすると、いわゆる雑居住宅ですね」とあっけらかんと言い放った不動産屋の顔を、健太は今でも忘れていない。
はじめから日本語で言ってくれ。
最初のコメントを投稿しよう!