満員電車

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 電車が揺れると、目の前の赤茶けた短い髪も少し揺れる。いつものカーブに差し掛かると、その髪は持ち主の頭を引っ張って連れ去っていった。車内のあちこで同じような誘拐事件が同時多発しているのだろう。「すみません」のささやきが方々から聞こえる。赤茶の髪も、後ろに立つ女性に謝った。 (こっち)  声には出さずに口だけ動かし、顎先で自分の二の腕を指し示す。赤茶の髪は俺に向かって少し揺れ、オレンジの輪っかの代わりに俺の学ランの袖をぎゅっと掴んだ。  これでいいの? と答え合わせをするように、揺れる瞳がまっすぐに向けられる。 (もっと)  毎日のことなのに、いちいち驚いて、いちいち困り顔をして、いちいち言う。 (ごめん)  二つ目のカーブに差し掛かる。皆が一様に右に傾いたのに、赤茶の髪は流れに逆らって俺の胸元に近づいた。列車が脱線でもしない限り決して離れない、そう確信できるぐらいに身を預けてくれる。  満員電車だから仕方がないだろう? 誰かの足を踏んづけないために、誰かに寄りかからないために、こうしているのだから仕方がないだろう?  肩に掛けた鞄が落ちないように気にしながら、空いた手を泳がせる。よく知る細い感触に行き当たると指を絡め、ゆっくりと、強く握った。  カーブは続く。赤茶の髪は少しだけ揺れて、しかし必ず戻ってくる。あと三つ駅を過ぎるまで、どうかこのままで。 *
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