野鐘 来斗(のがね らいと)の場合

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「ありがとうございました」  早朝の道場。  冷たい床に姿勢を正して、ぼくはじいちゃんに頭を下げた。 「なかなか体捌(たいさば)きが(さま)になってきたのう」 「じいちゃんの教え方が上手いからだよ」 「ちがうぞ、来斗(らいと)。お前の父親はいくら教えても上手くならんかった。やはり野鐘(のがね)流には野鐘の血が――」 「あ、ごめんじいちゃん、ぼく学校だからいそがなきゃ」  この話になるとじいちゃんは長い。  父さんの悪口も好んで聞こうとは思わないから、ぼくは慌てたふりを装って道場を出た。  婿養子として入った野鐘の家で、父さんだって家を継ごうと努力はしたのだ。  武術の才能が無かったとしても、家族を愛し、今は鹿翅町(しかばねちょう)役場で仕事をしている父さんをぼくが尊敬していることに変わりはなかった。  もちろん女の子一人しか子供が生まれず、古流武術『野鐘流柔術(のがねりゅうじゅうじゅつ)』を一子相伝で伝えるために婿養子までとったじいちゃんの焦る気持ちも分からないでもないし、こっちももちろん尊敬している。  だからこそ、尊敬する家族が尊敬する別の家族を悪く言うのは、聞いていて気持ちのいいものではなかった。  道場から家まで、広い庭を小走りに横切る。  9月の鹿翅島(しかばねじま)は、そろそろ秋の風が冷たくなる季節だった。 「おはよう、来斗(らいと)!」  かららっと言うサッシの開く音と同時に、隣の家の二階から明るい声がかかる。  やっと射しはじめた朝日のまぶしさに目を細めながら、ぼくはいつもの幼馴染の姿を見上げた。 「おはよ、桃花(ももか)。……もう高校生なんだから、パジャマ姿で窓を全開にするのはやめた方がいいよ」 「なによー。私のパジャマ姿を見るためなら何でもするって人が世の中にはたくさんいるのよ? 朝からいいもの見せてあげてるんだから、よろこびなさいよね」 「はいはい。お優しい生徒会長さま、ありがとうございました」  芝居がかったお辞儀をして、ぼくはちらっと視線を上げる。  胸をそらしてふわふわのパジャマを見せつけるようなポーズをとっていた桃花と目が合うと、ぼくらは同時に吹き出した。
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