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「どうかした?」
彼が探るように私を見ている。ハッとした。テレビの音が急に大きくなって耳に届く。
「何が?」
私は出来るだけ素っ気なく答えた。動揺を見破られてはならない。
彼と私は一緒に暮らしている。もうかれこれ4年目だ。学生の頃から付き合い出し、彼の就職が決まって同棲することを決めた。
結婚を考えたことがなかったわけではない。ただタイミングがことごとく合わないのだ。彼の勤務地が変わったり私の展覧会が決まったり、そうこうしているうちに今の関係が一番落ち着くようになってしまった。
始めはうるさく言っていた母も、もう何も言ってこない。周囲の避難の篭った視線には私も彼も本能的に目を瞑るようになっていた。勿論心の内では今だって母は結婚してほしいと思っているに違いなかったが、その言葉を私が口に出来る空気はもうこの家にはなかった。
「なんか変」
「どこが?」
どきりとした。今日は午後に仕事の打ち合わせがあるからと外出していて、日付を跨ぐ直前に帰ってきたのだ。普段家で仕事をしている私が外出するのは珍しい。いつもは帰宅が遅い彼も今夜は早く終われたのか、すでにシャワーを浴びて私の帰りを待っていた。
「表情が硬い。何か仕事で嫌なことでもあった?」
「え、そう?」
言って胸がチクリとした。表情が硬いのは嫌なことがあったからではなく、やましいことを隠しているからだ。私は咄嗟に嘘をついた。
「あ、うん。ちょっとね。面白い話だと思ったんだけど、ただいいように使われて終わる感じがして、断ろうかなって」
「そっか。前にもそんなこと言ってたよね。利己主義だとそうなっちゃうもんなのかね。もっと作品自体を見てほしいのにね」
「……うん」
溜息が漏れる。見破られなかった安堵と、嘘をついたことの心苦しさ。二つが相まった不快な溜息。
「ごめん」
「なんで謝るの?」
「なんかちょっと疲れちゃって。もう寝ようかな」
彼の目が見れない。でもそんな私に彼は優しく言葉をかけてくれる。
「おやすみ。明日になったらきっと気分も変わるよ」
私はありがとうと口を開きかけて、静かに噤んだ。スマートフォンを手に取り、泣きそうなのをぐっと堪えて黙って頷いた。
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