後書き

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だが思うに、「恐怖」とは決して憎み、排除するべき感情ではなく、それとうまく付き合っていくことがとても大切なことのように思われる。不安定な世界を嫌うのではなく、不安定な世界でどう生きていくのか、どう向き合っていくのは。「安定」という正反対のものを目指すのではなく、その環境に「トレレート」、慣れてしまう。そしてその事事無碍的悟りを理解した上で、「自分」という存在の安定を模索する。もちろんその自己確立が終わることはない。安定を築き、壊し、築いては、壊し、築かれては、壊され、そのサイクルの中を永遠と移行して「生」遂行する。人間の人生とは案外こんなもので、そこからいくら目を背け「いい大学に入るのはいい会社に入って安定した生涯を送るため」という西洋的ベールを覆いかぶせても、見えてしまっている「真実」なのだろう。 さてそこから君ら読者諸君は逃げるだろうか。不安定な世界を認めてなお、君たちは「安定」を目指すだろうか。言語のように言葉だけでは定義し得ないものを定義し「これが正しい」と愛する娘を亡くして怪しい宗教に深くのめり込む母親のように何かにすがるだろうか。 馬鹿馬鹿しい。実に愚かだが、そんな生活も見ていてまた一興。 だが悲しい哉、人生というのは映画や漫画のような三人称視点ではなく一人称視点なので、どうもそういう選択肢は潰されてしまうらしい。 もちろん苦労もするし、失敗することもある。だがこの世に生きとし生ける全ての生物、苦労していない、失敗していない存在などない。ライオンはシマウマを探すのに苦労するし、小魚もタコに襲われないように苦労するし、鳥も冬を越すために大移動をして苦労する。我々人間だけが苦労しないというのも変な話だ。 みんな違って、みんな良い。 多様性を善として歌った金子みすゞの詩をふと思い出しながら、僕は空を見上げる。 どこまで透き通った空は、曇ったり晴れたり雨が降ったり雷が光ったり、「不安定」だ。 そしてそれを「不安定」という言葉で表すには、あまりにも広大だった。
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