前書き

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この時私の五感は内側に織り込まれ、外部の世界から一切の情報が入ってこない。何かぼーっとものを考えている時は、例え道端に百万円が落ちていても、子供が車に轢かれそうになっていても、気付かないものだ。眼に映る景色や耳に反響する音を「情報」としてではなく「空(くう)」として脳が捉えているからだろう。 「...あいつ、元気にしてるかな」 0.1秒、私の身体の中で視覚的情報を通して思い出が引き出されるまでのリアクション時間だ。もちろん私自身の感覚からしてみれば、青空からあいつのことを連想するという単純なプロセスにしか感じられないのだが。 歩みを止めて、少し空を眺めてみる。ずっと下を向いていたからだろう、自分の影の形が空の一部からくっきりと切り取られている。「かげおくり」、という現象だったような気がする。まるで鏡を見ているような、そんな錯覚。 「私は、元気だよ」 あいつに語りかけているはずなのに、私の目の前にいるのは私の影。でも同じくらいにそれはあいつによく似ていた。とても近くて、とても遠い、そちら側の領域に足を踏み入れてしまえば、私という存在が瓦解してしまいそうな、危険な関係。そしてそれは向こうにとっても同じことだった。脳内信号が赤いランプを点滅させる。赤という色に反応して血液はその循環を速めて、連鎖的に心臓に働きかける。     
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