二つの世界、二つの私、一つの空

1/8
前へ
/14ページ
次へ

二つの世界、二つの私、一つの空

ムカシムカシノノオハナシヨ。 「時間」という概念は産業革命以降人間の行動に規律を生み出すいわば「鎖」のような役割を担って形作られていった。「タイムマネジメント」などは意識の高くない私でも日常茶飯事耳にする横文字だが、これは別に自分のためではなく、バラバラな個に一つの指針を示すことによって集団的統制を図ろうとする「強制力」の延長にすぎない。 そう、時間とは本来客観的なものなはずなのだ。だがどんなにそれを先生に聞いても、辞書を引いて調べても、私は納得ができない。何故なら私の体内時計が刻む一時間と、教室の掛け時計が刻む五分が、この現代国語の時間においては同一であるからだ。 「であるからして、宮川はここでこのように述べているわけです」 初老の教師の緩やかな話し方は、規則正しい電車のような揺れを生み出し、生徒達の眠気を誘う。一番後ろの端っこの席を陣取っている私を取り囲む三人の頭がこっくりこっくりと船を漕ぐように上下に揺れる。いつもなら内職でもして時間を潰すところだか、急いで提出するような課題もなく、おまけに今日は午前中で授業が終了するので、他教科の教材は持ち合わせていなかった。     
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加