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だがもはや私に私自身と「私」を区別するすべはない。よく考えてみれば、私は私の姿を生で見たことがない。鏡や映像に映る自分を「これが君だよ」と言われて育ってきたから、それを疑いもなく信じてきた。だがお風呂に入る前に自分の胸やお腹を目で視覚しながら触っていると、どうも洗面所のミラーに映る自分とは異なった形をしているように思えるのだ。あの「世界」を反射し、私たちの目の前に投影している「姿見」は、本当に世界を写しているのだろうか。
もし、本当に仮の話だが、もし、鏡の中に見ている「世界」が、全く別の世界だったら。
左右非対称だけじゃない、もっと本質的な「何か」が、私と「私」の間にはあるのだとしたら。
思わず鏡に触ると、ひんやりしていることを感じるより先に、私たちを断絶する強力な「力」がそこに発生していることが分かった。
「それでは丹野さん、この宮川の一節を読んでください」
はい、と規則正しい動きで立ち上がった生徒が、柔らかな音色で文章を読む。それはとても繊細で優しいのに、音の波に直すととても強力で、私の鼓膜を地震のように揺らす。
「もう一度映像が僕を見つめる、その映像の目。そしてもう一度およそ想像を絶する空間が僕たちのあいだに形作られる」
再び目の前に現れた「私」は、私であって私じゃない。違う、私ではないのだが、私ではないわけではないのだ。私たちは決して分かり合えない。私たちは決して共存できない。私を見つめる「私」の目は、敵意と憎しみに満ちていた。私の目の中にも同様の気持ちが篭る。
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