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その男の為なら何でも耐えられた。
「ある朝起きたらそいつぁいなくなってたよ」
―――だが相手の男は、そうではなかったのだ。
「馬鹿みてえに取り乱して探した。そんで後から知ったよ、そいつは町の女と逃げたのさ。俺よかずっと若くてきれえな女とよ」
本当はずっと気が付いていた。
男の心が藤吾郎から離れていっていることを。次第に家を空けるようになっていったことも。
そうして残ったのはこの寂しい家と、全てを放ってまで愛した男に畜生のように捨てられた藤吾郎だけ。
唯一藤吾郎に残っていたものは父親から教えこまれた簪の作り方。自分が生涯なれることは出来やしない存在―――女を美しく着飾る為の物。
これは何の仕打ちかと呪ったが、藤吾郎が生きていくにはもうそれしか無かった。
情けなかった。それでも涙を飲みながら簪を作った。
「…それからずっと、独り?」
藤吾郎は答えなかった。
そのかわり、ふいと顔を逸らしてその肩は小さく震えていた。
「ひでえ野郎だ。己はそんなくずとは違うよ」
ぎゅうと緋色の腕に力がこもる。
「己は旦那の命と引き換えに身請けされた金魚さ、旦那の灯が消えない限り死なない魚。あんたの為だけに生きている」
緋色は優しく囁いた。
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