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いや、できることなら私もさっさと帰りたかったのだ。
ほかの同僚たちは、その日の先輩のただならぬ感じを察して、定時になるとさらりと消えていき、私一人だけが帰り損ねて先輩と一緒になってしまった。
「いいよ、私ももういい年よ。誕生日なんてなんとも思ってないし、普通に帰って寝るだけよ」
先輩はそう言っていたが、あきらかに一人で帰りたくない空気を発していた。
汲み取ってしまった私が悪いのか。
どうすれば今のこの状態にならずにすんだのか。
頭の中でぐるぐると考えてみるが何度やってもこのルートになってしまう。
目の前では先輩がスパークリングワインを手酌でぐいぐいと飲んでいる。今3杯めだ。
「…あいつ、ヒロシ、マジしょうもないやつでー、そこら中でよその女に手ぇ出してんのよ。このネックレスだってクソ安物よ!ひと山3千円のやつを大量に買い込んでー…」
金メッキがはがれかかったネックレスを引っ張りながら先輩がくだを巻き続ける。元彼のヒロシ某の愚痴が止まらない。この話も3回めだ。
もしかしてループしてんのかな、と相槌を打ちながら私は思う。
「ちょっと、杉山、聞いてんの?」しまった。捕まった。聞いてなかった。
先輩は興奮してまくしたてる。「君にだけだよ、とか言ってよー、あいつ!そのネックレスを全員に渡してんのよ!」
こういう話を聞いてどういう顔をしていればいいのだろうか。
それがわかるような要領のよさがあれば、私は今この場所にいないであろう。
ただ、ただ、中途半端なアルカイックスマイルを続けるしかない。
「しかもその女が揃いも揃って全員、黒髪のロングヘア、黒い服の辛気臭そうな女で!」
そう言いながらグラスを傾ける先輩はやはり黒髪のロングヘア、真っ黒な服を着ている。
なにも、言えることはない。私は、スパークリングワインの瓶と先輩のグラスの永久運動をひたすら見ていた。
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