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とにかく視線がさだまってないし、包丁を持つ手もふるえている。
本気でこれはやばい。
なんとか、先輩をなだめなければ…。
「そんな…そんな最低男のために先輩が罪を犯すことないじゃないですか」
こんな時でも、通り一遍の正論しか出てこない。自分の融通の利かなさが嫌になる。
「せっかくの誕生日じゃないですか…。」
「うう…」先輩がうつむいて、小刻みに震える。
「ね、先輩…?」手を差し伸べながら、少しずつ先輩に近寄る。
あとひと押しだ。
「きっと、先輩にもいい人が見つかりますよ」
言った瞬間、しまったと思った。
先輩がギュン、と高速で顔を上げ、こちらを睨む。
なんで私はいらんことを言わずにおれないのか。思うより先に、身体は飛びすさっていた。
「杉山ァー!てめえー!」先輩が鬼の形相で包丁を振り上げる。
ダッシュでキッチンから逃げ出す私を、先輩が追う。
リビングに逃げ込み、ケーキの乗ったテーブルを飛び越え、振り返る。
テーブルの向こうの先輩は、息を切らせて肩を上下させている。その手には包丁が握られたままだ。
「落ち着いてください、落ち着いて…」私は右手を前に出し、言う。
「落ち着いてる!…落ち着いてるわ!」呼吸も口調も落ち着いてない先輩が言う。
そのとき、つけっぱなしになっていたテレビから、聞いたことのあるフレーズが聞こえてきた。
あわてて先輩を押しとどめる。
「先輩、ちょっと待って!テレビ!見て!テレビ…??」
『…北区の路上で、宇多川ヒロシさん(29)が刺されて、倒れているのが見つかりました。』
「え…」先輩の動きが止まる。
テレビは、いつのまにかニュース番組になっていたようだ。
ニュースキャスターがさらに告げる。『宇多川さんが刺される前後で、付近の監視カメラに黒い服、黒い長髪の女性が映っており、警察は事件との関連性を探っています。』
テレビに映った監視カメラの映像には、先輩そっくりの、黒髪の女性。
見間違いでなければ、首元には金色のネックレスをしているように見えた。
私たちは無言でお互いを見あう。
私は、一歩、後ずさりをした。
先輩の手には、まだ、包丁が。
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