1.月のきみ

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1.月のきみ

 月明かりの綺麗な夜だった。 その日は実家に帰る予定だったのが、会社からの電話で急に仕事にかり出され、一段落した頃にはとっくに日が沈んでいた。 疲れのせいか何を考えるでもなく電車に揺られ、駅からは道しるべのように照らされたコンクリートの上を、ただ実家に向かって歩いていた。 実家がある住宅街の真ん中に、特別広いわけでもない公園がある。 小さい頃によく、母と弟と三人で遊びに来た場所だった。 公園を囲むように植えられているツツジは、大きな紫色の花をつけるにはまだ早く、緑の葉もくすんで見える。 なぞるようにそのツツジのそばを歩いていると、随分と色あせて劣化が目立つようになったブランコが目に留まった。 少し距離はあったけれど、ちょうど何も遮るものがなく真っ直ぐに差し込んでくる月の光で、そのブランコに人が座っているのが見えた。 長くきれいな黒髪に、透明感のあるシャーベットブルーのワンピースを着た女性だった。 風のない静かな夜で、でもかすかに、黒髪が揺れたように見えた。 それだけのことだったのに、なぜだろう。 僕はこのとき、彼女が泣いている気がした。 いくら明るいといっても辛うじて横顔が見えるくらいで、泣いているかどうかなんて、判断できる距離ではなかったはずなのに。 僕は気づけば吸い寄せられるように、公園に足を踏み入れていた。 顔がしっかりと見えるところまで近づいて、改めて見た彼女の横顔。 その頬には涙が流れていた。 声を出すことも表情を崩すこともなく、ただ静かに、月を見上げながら泣いていた。 どんな状況なのか、その理由もわからない。 なのに僕は、そんな彼女の姿に胸を締め付けられ、そして不思議と鼓動が高まった。 綺麗ですね、と僕が無意識にこぼしていた言葉を、彼女はどういう風に受け取るだろうかとその反応を待っていたけれど。 僕を見て、僕に反応が返ってくるまでに少し時間がかかった。 まるで周りが見えていなくて、世界に自分一人しかいないと思っていたみたいに。 「・・・綺麗ですね」 見ず知らずの男に声をかけられたのに、それでも彼女の表情が変わることはなかった。 やっと僕に向けられた視線もすぐに夜空へと戻って、たった一言。 その言葉しか知らないみたいに、僕と同じ言葉を繰り返しただけだった。 この時彼女は、今自分たちの頭上で輝く同じ月を見て、僕も綺麗だと言っているんだと勘違いをしていたと思う。 でもその夜は一度も、僕の瞳に月が映ることはなかった。 月に照らされる彼女が本当に綺麗で、ずっと目を離せずにいた。
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