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4.忘れられない人
どれだけ時間が経っても大輔についてまわる影が消えることはなくて、しかしそれを除けば、大輔の私に対する態度が何か変わることもなかった。
初めのうちは、彼がどんどん離れていってしまうような気がして、不安でならなかったけれど。
どんなに仕事が忙しくたって家のことを率先してやってくれる、気遣い上手な大輔。
どこまでも優しく、温かく、触れてくれる大輔。
不安に思っていたことが何一つ起きる気配はなく、ただあの匂いだけが私たちの間にずっと残り続けていた。
これさえ気にしなければいいのではないのだろうか。
そうすれば、また以前のような日常に戻れるのではないか。
そんなことを考えては気付かないフリをして、あるいは受け入れたつもりでいて、心の平静を保つようになっていた。
所詮は臭いものに蓋をしただけで、消えてなくなったわけではないというのに。
ピンポーン。
滅多に鳴ることがない来客を告げるチャイムが鳴った。
壁掛け時計を見れば、二十一時を過ぎていた。
一瞬フワッと浮いた心はすぐに沈んでいく。
大輔から事前に、今日は先輩と飲みに行くと連絡があったから、こんなに早く帰ってくるはずがない。
そもそも鍵を持っている大輔はわざわざチャイムをならさないから、誰が来たのか見当もつかない。
ドアを開けて、心底驚いた。言葉が出てこなかった。
それくらい私にとって予想外の人物が、目の前に立っていた。
「唯さん。久しぶり」
そう言って薄く笑みを浮かべた男は、緊張もしているのか少し声が震えていた。
閉ざしていた記憶の扉をこじ開けられるのには、名前を呼ばれただけで十分だった。
突風にあおられたように一瞬で蘇る、窮屈な思いを抱えたままで終わると思っていた高校時代。
でもそれを変えてくれた存在が、再び現れた。
正しくは、大輔の実家を訪れたとき以来だから三度目か。
あの時は声を聞いただけで駆けだしてしまったから、顔を見る余裕はなかった。
だからこうやって真正面から向き合うのは、本当に久しぶりで。
大きく変わったところはないにしろ、どこか大人びた雰囲気の彼に、胸の鼓動はうるさいくらいに早くなる。
それに気付かれたくなくて、私は彼から目をそらした。
第一声を発してからしばらくして、彼は恐る恐る口を開いた。
「あ、あの、兄さんは・・・?」
一瞬、彼の言う“兄さん”が誰を指しているのかわからなかった。
そして思い出す、もう一つの蓋をしていた現実。
「・・・大輔なら、今日は帰り遅いよ」
「そっか。あの・・・俺のこと、覚えてる?」
未だに目を合わせられず、彼がどんな表情をしているのかはわからない。
見てしまえば自分がどんな行動に出てしまうか、私は簡単に予想できていた。
自分の胸が、心が、これだけ悲鳴を上げるように鼓動を刻み続けていれば、わかって当然だ。
もう何度も、心の中で彼の名前を叫んでいる。
でもそれがいけないことだともわかっていた。
早く視界から彼を消したくてドアノブを掴んだままの右手を引こうとした。
だがそれは、彼の左手に阻まれてしまった。
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