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使った食器を洗い終わって水道を止めると、水の音が消えた室内はやけに静まり返っていた。
ソファに座っていた唯は、テレビをつけるでもスマホをいじるでもなく、窓の外に視線を投げたまま動かない。
朝はあれだけ重たそうな雲に支配されていた空が、今では透き通る青を惜しげもなく見せている。
「ゆーい、どうした」
「・・・んー?」
「お腹いっぱいで眠くなった?それとも、晴れてきたし今からでも出かける?」
「ううん。それより、私が見たかった番組、録画したって言ってたよね?それ見てもいい?」
いいよ、と答えれば、笑って唯はテレビのリモコンを手に取った。
その顔は、いつもの唯に戻っていたけれど。
連絡先を交換して二人で出かけるようになった頃は、こんなことがよくあった。
晴れた日でも、曇り空でも、雨の日でも。
唯の視線はよく斜め上を見つめていて、その先にはいつも空があった。
初めは単に空を見るのが好きなのかと思っていたけれど、そうではないことにわりとすぐに気付いた。
視線の先にあるのが空でも、唯の瞳はそれを捉えていたわけではない。
ひどく何かを懐かしむような、それでいてどこか寂しそうに淡い光を宿した瞳。
きっと最初から、その瞳には空なんて映っていなかったのだろう。
じゃあ唯は一体何を見ているのか、僕は未だにわからない。
こんな時、否応なしに思い知らされる。
僕の知らない唯がいることを。
僕と出会う以前の唯のことを、僕はほとんど知らない。
そんなことはわかりきっていたし、変えようのない事実だけれど。
一緒にいる時間が少しずつ長くなってきて、あんな顔をする唯を見ることも少なくなってきてはいたけれど。
きっと今もその両手いっぱいに、大きな荷物を抱えたままなのだろう。
苦しいのなら、辛いのなら、手放してしまえばいいものを。
離さないでいるということは、それだけ大切なものなのだろうか。
その大切なものがなんであれ、荷物を一緒に持ってあげられるくらいの度量を、僕は持ち合わせているつもりでいた。
お互いに隠し事もなく知らないことはないのが理想の形だとしても、相手の全てを理解することはなかなか難しい。
でも、だからせめて僕は、唯を傍で支える存在でありたいと、心から思っていた。
いつかその心の内をさらけだしてくれる日が来たときに、僕は僕のすべてで、唯を抱きしめようと誓った。
大丈夫、唯は僕の隣にいる。
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