2.空のきみ

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「それさ、男じゃないの」 小さなしこりがあることに気づかないふりを続けていた。 それを知ってか知らずか、目の前で一通り僕の話に耳を傾けていた男が、はっきりと言葉にしてしまった。 言ってしまえばそれが本当になってしまいそうで、僕はずっとその考えを打ち消し続けてきたというのに。 努力が水の泡になってしまった。 ついうっかり口を滑らせてしまったのは、久しぶりにお酒を飲んだせいだろうか。 いつもならちゃんとペース配分をして、お酒に呑まれるなんてまずなかったのに。 仕事で最近かかりきりになっていた大きな案件がやっと片付いて、同僚で同期の吉田と久しぶりに飲みにきていた。 けしてお酒に強いわけではない僕は、ちゃんと自分に合った飲み方をわかっていた。 しかし今日は、話すつもりのなかったことをポロッとこぼしてしまうくらい酔いが回っている。 たまった疲れでタガが外れてしまったのか、それとも別の理由か。 いくら後悔したところで、こぼしてしまった言葉はもう回収できない。 ずっと避けていたことをあまりにさらっと言葉にされてしまい、僕は目の前に座る吉田を睨んだ。 けれど、酔いが回った視線では僕の心情は伝わらず、吉田はニヤニヤと意地の悪い顔でこっちを見ていた。 「お前な、人が散々考えないようにしてたことをそんなにあっさりと」 「いやいや、目を背けてたってしょうがないだろ。実際、お前の目の前で唯ちゃんがそういう顔してんだから」 「でも、男かどうかはわかんないだろ。唯がそう言ったわけじゃないし」 「じゃあ聞いてみろよ。気になってんだろ」 「それは・・・」 できることならもうやってる、という言葉を、僕はお酒と一緒に呑み込んだ。 聞いたところで、きっと唯は素直に話してはくれないだろう。 僕に心配をかけたくない、迷惑はかけまいとする。 だから僕は、唯が話してくれるまで待つと決めたんだ。 その気持ちは変わらないけれど、でも自分でも気づかないうちに、ずいぶんと溜めこんでいたものがあったらしい。 待つということがこれだけしんどいものなんだと、まさに今実感している。 「まぁ、なんだ。浮気してるわけじゃないんだろ」 「それはない、と思う」 「急に自信なさげだな。でも俺もそう思う。あんなに良い子そうそういないぞ」 僕と唯が再会した場に吉田もいたので、お互い面識はあるし、仕事の時の唯の様子を吉田もよく知っていた。 「そんなこと言っていいのか。お前だって彼女いるだろ」 「あー、別れた」 不本意ではあったが、僕の話を聞いてくれたから今度は吉田の得意な彼女自慢を聞いてやろうと思って、軽く話題を振ってまた後悔した。 思いも寄らない反応が返ってきて、言葉につまる。 「え?」 「別れた」 「いつ?」 「・・・二週間くらい前?」 その頃は、取引先との予期せぬトラブルで余計な仕事が増えてしまい、バタバタと忙しくしていた頃だ。 「お前そんなこと一言も・・・」 「別にわざわざ言うことでもないだろ。仕事でそれどころじゃなかったし、おかげで悲しんでる暇もなかったよ」 そう言った吉田だったが、明るく振る舞おうとしていることは気付いていた。 伊達に入社してからずっと同じ部署で働いてきたわけではない。 今思えば、耳にタコができそうなほど聞かされていた彼女の自慢話だったが、最近その名前すら吉田は口にしていなかった。 自分の個人的な事情に時間を割きたくはなかったのだろう。 忘れてたな、こいつもこういう奴だった。 私情を挟んで仕事でミスするなんて以ての外だと、きっと必死だったはずだ。 少なからずなんとか折り合いをつけて今までやってきたはずで、それを無視して根掘り葉掘り事の顛末を聞くなんて、僕には出来なかった。 どう言葉をかけようか迷っていると、沈みかけた空気を切るように努めて明るく吉田が口を開いた。 「俺のことはもういいよ、終わったことだし。でもお前は終わったわけじゃない。正直、女のことがよくわかんなくなってる今の俺が言っても説得力ないと思うけど、唯ちゃんは本当に良い子だと思うよ。だから、大事にしてやれよ」 普段なら軽口で返すところだ。 おまえに言われなくてもわかってるよ、と。 でも吉田から放たれたその言葉は、妙に心に響いてそうはできなかった。 素直に頷いただけの僕を見て、吉田は驚いて目を丸くする。 いつもの調子で返してくると思っていたのだろう。 照れた表情を隠すようにジョッキに少しばかり残っていたビールを飲み干して、しかし頬が緩むのを止められず、吉田は嬉しそうに笑った。
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