scene 2 私立英華高等学校 ー明澄の道

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 裏央都の別名をもつ私立松藤学園高等学校の創立者は学都桜花の創始者・藤林院寺太郎坊法康(とうりんいんじたろうぼうのりやす)。以来、藤林院寺家が理事を務めており、現在も理事長に藤林院寺善三郎(とうりんいんじぜんざぶろう)、理事の1人にその息子である貴玲(たかあきら)が就いており、いずれ彼が理事長になると目されている。  その藤林院寺家は、自治会や教職員組合と違い、利権の絡む理事会において代々その総長を務め、ともすれが利益追求に走りかねない理事会の頭を抑え続けている。それも藤林院寺家の一員としてではなく、あくまで理事会の一員としての立場で、である。  自治会においても、その発足の中心となり、初代から何人もの総代を就任させてきた松藤学園。その行動力と英知、藤林院寺家との縁深さから集まる尊崇の念が学都桜花に与える影響力は絶大であり、その意向に従う学校は中央区のみならず。  毎年区議会によって決められる中央区の代表校、央都。他地区と違い学都桜花最古参校が集中する中央区の代表校とあって、央都が持つ影響力もまた絶大である。  だが松藤学園は央都であろうと無かろうと、央都以上の影響力を隠然と持ち続けてきた。故に裏央都と呼ばれる。この言葉は松藤学園のためだけにあり、歴代会長によってその地位は揺るぎなく守られてきた。故に 「不動の裏央都」 と呼ばれるのである。     
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