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終業を告げるベルが鳴った。
ノスリはひとつ大きく伸びをすると手早く荷物を鞄に詰め込んで席を立った。一日の仕事を終えた開放感から社内には気怠い弛緩した空気が漂っている。ノスリは余計なことは考えまいとしていたのだが、思わずこの先のエレベーターで待ち受けていることに思案を巡らせてしまい、向かいの席の男の口元に微笑を誘う結果になってしまった。
「頑張れよ」
「何のことかな」
ノスリは平静を装ってとぼけたが、その見せ掛けすらも見破られているのは明らかだった。テレパス相手に虚勢を張っても意味がないのは百も承知している。これは俺自身の気分の問題だとノスリは思う。人付き合いにおいて今ほど厄介な時代はなかっただろう。見て見ぬふり、知って知らぬふり、醜い内面が顔を覗かせていても視線を逸らせてにこやかにしていなければならない。だからお前さんもそれ以上口を開くなよ。
男は何も言わなかった。ノスリは会社を出た。
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