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そんな考えごとをしていると、あっという間にバスは市役所に着いた。村山はステップを降りて、味気ない市役所の建物に向かう。勝手に足が動いているような感覚にとらわれた。あの二重らせん構造が命令を下しているのだろうか。
中に入るとそこは警察署や病院のようにも見える無個性な空間だった。村山は受付で窓口番号を確認して、奥へと進んだ。遺伝情報管理課の窓口は9番だ。きっと同じように二十歳になる若者はもはやこの町には少ないのだろうか、その窓口ばかりは誰も並んではいない。
「いらっしゃいませ。」
薄いグレーの制服を着た女性職員が声をかける。年齢は30歳から40歳くらいだろうか。何処にでもいる中年の女性といった雰囲気だった。
「遺伝情報の照会ですね。先ずはこちらをお読み下さい。」
そう言って彼女は一枚の用紙を村井に手渡す。遺伝情報照会に関する注意事項というものだった。流し読みする限りでは、情報の取り扱いに関する自己責任の注意といったものだ。
「遺伝情報保護法に基づき、個人の遺伝情報は厳格に管理されています。一度取得しますと村井様の遺伝情報はデータベースから削除されることになりますので、再度受け取ることは出来なくなります。」
それは村山も学校で習っていた。ブロックチェーンと呼ばれる技術で管理される遺伝情報は、一度取得するとこの世から完全に抹消される。本人を除いていかなる人間もその情報を盗み見ることが出来ないようにする為だ。だから、遺伝情報の開示を拒む者も、一旦は自分の遺伝情報を手に取ることになる。読まずに捨ててしまえば、もうこの世に自分の遺伝情報を語るものは何もなくなる。むろん、闇の遺伝子情報解析会社は存在するのだが、一応は違法ということになっているから、建前の上ではこれが自分の遺伝情報を知る唯一の機会になる。
しかし、いくら情報の機密性を高めるためとは言え、今時紙媒体でというのはどうかと思う。まあ、役所というのは古今東西変わらないものだ。
村山は分かったというように頷いて、用紙に同意の署名をする。
「では、遺伝情報の取得と印刷の為に別室にご案内致します。」
職員の女性は慣れた動作で村井を誘導する。村山には部屋はどれも同じように見えるが、職員はどのように見分けているのだろうかと不思議に思う。
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