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貞環4年、862年頃
朱雀大路では牛や馬の放し飼いがなされていたそうだ。
夜間には盗賊が現れていたらしい。
陰陽師・安倍晴明が現れたのは979年あたりから…
つまり安倍晴明が現れるまでの京都というのは、混沌としていた。
785年
長岡京造営のための責任者、藤原種継という男が何者かの手によって暗殺され
急遽平安京への遷都が決まった。
当時の天皇、桓武天皇は
急遽京都に移り住み
都としての機能そして平安と安寧を求めて、
色々な使者を出し、東奔西走させたらしい。
例えば検非違使というのを派遣して
京都の治安維持に当たらせた。
平たくいうと検非違使は、
何か非道なことをしているものはいないか
取り締まる天皇の使いのことで、
警察の走りなのではないかと個人的には思っている。
その頃の京都は律令制を遵守した、
治安維持に努めようとしていたらしいが、
当時、蔓延る《はびこる》盗賊や、乱痴気騒ぎを起こす輩を取り締まるのに、東奔西走していたらしい。
当時は牛や馬には、
とても価値があったのでそれらを盗んで金にしようと思うのはごく自然なことだったのかもしれない。
しかし当時の京都には入浴の習慣などもなく、多くの場合何に触れてもそのままだった。
加えて高官や貴族でなければ、
食事も貧しいものが多く、
不衛生になりやすかったのだと思う。
安倍晴明が活躍する少し前、
990年には「天下の疫病」と呼ばれるものが
流行し多くの人が死んだ。
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