東寺と文覚上人

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東寺の歴史は随分と前に遡る。 794年に平安京が遷都され、始めに建てられたのは東寺と西寺だった。 当時、都の正門羅城門から北へまっすぐに朱雀大路が伸び、壮大な大内裏(だいたいり)が設置されていたそうだ。 大内裏(だいたいり)とは平安京の宮城のことで、天皇が在所していたともされている。 その羅城門を挟んで、両翼を広げたように建立されたのが、東寺と西寺だ。 東寺は東側の王城を守る役所としての役割も担っていたそうだ。 そんな中、 平安京遷都から29年目の冬のこと 桓武天皇から交代した次の天皇、 嵯峨天皇は唐で密教を学んで帰ってきた空海、いわゆる弘法大師(こうぼうたいし)に東寺を任せることにした。 ここに真言密教を主とした東寺が誕生したと言われている。 弘法大師は先ず、真言密教の中心伽藍(がらん)を建てるため講堂を建てたそうだ。 伽藍(がらん)とは、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、大切な場所だったそうだ。 嵯峨天皇は奈良仏教に対抗するため、 弘法大師の真言密教や、最澄の天台宗を 擁護したとされている。 当時のこれらの仏教は平安仏教とも呼ばれ、 天皇や貴族たちに神の恵みがそのまま現世に利益として与えられるとされた 「現世利益」の色がとても強かったという。 そうして、東寺は弘法大師と共に歴史を歩んでいくのである。
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