17人が本棚に入れています
本棚に追加
その昔古都京都も、疫病が流行っており
これではいかん!と桓武天皇が気合いを入れて平安京を建て直したとされている。
しかし平安京の中期藤原道長の時代、
関白や摂政が相次いで疫病に見舞われ、
その当時の祈祷師である陰陽師やえらい人たちが
読経を読み、祈り続け
その人の体に宿ったとされる悪い輩を
出そうとした…と聞いていた。
実際京都に住んでいると
その暮らしの中で神社仏閣を強く感じることは少ないが
時折東寺の前に来ると
その昔の時代に想いを馳せることもあった。
私は昔から空想をすることが好きで
その時代に生きていたら、どんな生活だっただろうかと考えることもしばしばあった。
もし宮廷にいたならば、ゆうに10キロ以上はあるだろう十二単のようなものを着て
髪の毛を後ろに伸ばし、
ほとんどお風呂には入れないだろう、
その為に匂い袋やお香で香りをごまかし
静々と雅楽をBGMに歩いていた…のかもしれない。
そう思うと意地悪な私は、
単に疫病が流行ってしまったのは不衛生だったからでは?とも思ってしまうが、
入浴という考えが、殆どなかったその時代に過ごしていてはきっとなぜ疫病が流行ったのか
皆目見当もつかなかっただろう。
もし、ギリシャのようにテルマエのやうな
浴場が宮廷内で認識されていれば…
など、思ってもそれは昔の話し。
陰陽師が居てくれなければ、
京都の晴明神社はなかっただろうし
祈祷という考え方も生まれなかっただろう。
昔の歴史の蓄積が、今の古都・京都を育んでいるかと思うともう何も言えなかった。
最初のコメントを投稿しよう!